植物を買う前に考える3つの「余裕」。余裕がないから植物が売れない。

前回は植物を買う動機となることを「内的要因(ソフト面)」から考えてみました

今度は「外的要因(ハード面)」から探ってみます。

植物を買うときに考える「3つの余裕」

植物を買う前に消費者の誰しもが考えることあります。
端的に挙げれば、

  • ちゃんと育てられるのか?
  • 植物の置き場所はあるか?
  • そもそも植物を買えるのか?

の3つが頭をよぎります。
けれど、植物を売る側の生産者や販売者には、この3つのポイントがあまり考慮されていないように思うのです。
それはなぜか。
答えは単純明快。
今までは考慮せずとも売れたから。
そして、いまでもそれなりに売れるから。

けれど時代は高度な情報社会
且つ、年々深刻度合いを増す、高齢社会です。
財布にテレホンカードを入れていなくても事を欠かないように、今までの常識が崩れ去ることはザラにあるのです。

そのなかで、園芸シーンを語るうえで、頭の片隅に置いておくべきポイントがあることに気が付きました。
それが、

  1. 時間的余裕
  2. 空間的余裕
  3. 経済的余裕

の3点。
上記に挙げた「消費者の頭によぎること」とはつまり、消費者の裏側に植物を買わない事情が潜んでいるから。
さらに、この3点を軸に考えれば「いままで消費者の生活を念頭に置かずにも商品が売れた理由」も理解できます。

① 時間的余裕

はじめに植物を育てる「時間的な余裕」が減ってきています。

男性も女性も個々でみれば労働日数の推移は減っています
仕事をする時間が減っているということです。

年間総実労働時間は1970年度は2,200時間を超えていたが、1991年度は2,008時間、2001年度は1,843時間である。
https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h14/H14/html/E1022311.html

ただし、現代は夫婦共働きの生活が一般化していることから、世帯全体における余暇の時間は減少傾向なのではないかと僕はみています。

I-3-4図 共働き等世帯数の推移
男女共同参画白書(概要版) 平成30年版 | 内閣府男女共同参画局

つまり家庭内に置かれるであろう園芸植物のメンテナンスを行う時間が総合的に減っているのだろう、と…。
男性が仕事に出ていても、妻が家事を担っている場合、誰かしら住まいに滞在している時間が増える。
労働時間の表は「労働している人」から算出した時間であって、労働の如く家事をこなす人たちは、この中には含まれていません。
当たり前ですが…。

鉢物でも、切り花でも、ガーデニング植物でも、基本的には居住する「住まい」の周辺に存在するもので、住まいに滞在する時間が短くなればなるほど、それに関連する商品は売れなくなる
且つ、音楽や映画・ドラマなどのサブスクリプションの普及や、さまざまなレジャー・イベントなどで余暇に行う事柄も多様化しています。

ゆえに考慮しなくてはならないのは、いかに短時間で植物とのコミュニケーションを図れるかということ。
いうなれば「低メンテナンス」で、一定の栽培成果が得られるかどうか
水やりが多く必要だったり、剪定の必要性が高い植物など、管理が煩雑な植物は今後、受け入れられなくなるでしょう。
余暇の少ない消費者にとって、手のかからない植物の需要が高まると考えています。
また、手が掛かっても植物が返してくれるパフォーマンス(栽培成果)の高い品種も、SNSなどの口コミで人気を呼ぶだろうとも思います。

② 空間的余裕

このブログでも何度か書いていますが、住居周辺における植物栽培が可能なスペースが減少しています
庭をはじめ、ベランダ、出窓、室内の窓辺など…。
その要因には、居住空間の省エネ化推進であったり、生活環境の利便性を確保するためにあえて狭小な居住地を選ぶことにあったり…。

詳しくは以下の記事に書いています。

当たり前のハナシですが、置けない植物を誰も買いやしません
植える場所のない植物も店頭でスルーされます。
だからこそ、消費者は買ってからどこにその植物を置くのか。
あるいは置いた後、どのようにディスプレイし、どう管理するかを、生産者は考慮する必要があるのです。

③ 経済的余裕

この記事でいちばん書きたかったこと。
それは、経済的余裕がないからこそ、無為に植物を買えないフェーズにあるということ。
すなわち消費者が、吟味厳選して植物を購入せざるを得ないとうこと。

どういうことか。

総務省の調査では「園芸品・同用品」の支出金額は1999年のピーク以降、下落しているのだそうです[*01]。
この表をみて考えたとき、単純なハナシ、所得金額に比例しているのだと思ったのです。

図表2-1-1 1世帯当たり平均総所得金額の年次推移
図表2-1-1 1世帯当たり平均総所得金額の年次推移|平成29年版厚生労働白書 -社会保障と経済成長-|厚生労働省

1990年の「花博」のきっかけで、花の消費拡大がこれらのピークを生んだという意見もあるし、支出金額の上下の意味を理由付けする要因はいくらでもある。
…のですが、園芸という趣味の消費が活発化しないのは、そもそも消費者の経済的な余力がない、可処分所得の増減に比例しているのでは?

統計局ホームページ/統計Today No.129

全体的に家計のなかで使えるお金が減ってきているのなら、趣味に使うお金が減るのは当然のこと。
ゆえに一般的な消費者が考えることは、

  • 植物を買わない
  • 植物を買ってもコストパフォーマンスの高いもの

のどちらかを選ぶことが基本となる。

そして「コストパフォーマンスの高い植物」というのは、

  • より安い金額で手に入るもの
  • 観賞期間が長いもの
  • 交換価値を有するもの

を言うと僕は考えています。

より安い金額で手に入るもの

植物をどれだけ安く手に入れるかどうかは、資本主義社会なら当然、消費のタイミングでポイントとなるべきもの。
当たり前すぎるのでここでは説明しません。

観賞期間が長いもの

「観賞期間が長い」というのは、花の咲く期間が長いということもさることながら、何年にもわたってその植物の生長をたのしめるかどうか
つまり、生活空間の身近にあっても苦にならない植物のことを差します。

長く観賞に耐えることができる(耐用年数が長い)植物であれば、費用対効果が高い
それは結果として「より安い金額で手に入るもの」に部類されるのです。
10,000円の植物を5年楽しんだら、年換算で2,000円。
3,000円で買ったものが数カ月で枯れてしまったら、5年楽しめる植物よりも費用対効果は悪い
よって、1年も経たずに枯れてしまうもの、単に装飾として用いられるようなコストパフォーマンスが悪い印象を受ける植物は、忌避される傾向にあります。

交換価値を有するもの

また「交換価値を有するもの」というのは、フリマアプリなどの出現によって、植物の価値を高いままに対価を得て譲渡することができるかどうか
ここに関しても、このブログで2回、記事にしています。

長くなってしまうので、過去記事をご覧ください。

「コーデックス(塊根植物)」 は好例

たとえば、昨今の「コーデックス(塊根植物)」ブームはまさしく「コストパフォーマンスに優れた植物」であるといえます。
また、長期間にわたって自分なりのフォルムや満足のいく大きさに育て上げることがブームの柱になっています。
そこに前回の記事に書いた「内的要因」が付加された結果、高価格帯であっても購入者が現れるのです。
そして「交換価値」も生まれる。

経済的な余力が減少しているからこそ考えるべきことは、すぐに使えなくなる植物を消費者に投げ売りしていないか?
あるいは、適切な栽培方法を消費者に伝えられているか?
さらには、その価値を高められずにいたり、交換に耐えられる仕様になっているか?
など、こちらも考慮すべき点が様々にあるはずです。

天下一植物界の衝撃

大量に生産される植物にも「価値」はある!?

僕がここまで考えるに至ったきっかけは、天下一植物界に足を運んだこと。
さらにはそこに寄せられたコメントの意図を考えたから。

たぶん、フツーに園芸業界で働き、フツーに旧態然とした業界関係者の人たちだけど接していたら、こうは考えが及ばなかった
あの会場に行き、シームレスな植物群を目の当たりにしたとき、園芸業界の「いま」と「これから」に必要なことがうすぼんやりと頭の中に浮かんできたのです。
その後、いろいろとこのブログやnoteに駄文をぶちまけ、整理する中で3つの「余裕」が必要なのだと結論に至りました。

それでもやっぱり、当たり前なこと

示した論拠に整合性がなかったり、異論をお持ちの方もあるかと思います。
けれど3つの余裕を読み返せば、ただただ「当たり前なこと」を述べているだけで、空気がなければ人は死ぬのと同意。
そのくらい当たり前なことを念頭に置いてはじめて、「消費者マインド」の数パーセントを理解できるのではありませんか。

ジャンルの垣根を超えた新しいムーブメントがそこに起きているのに、売る側と買う側の乖離が激しく大きい。
僕はそこに恐怖すら感じます。

この記事で問いたかったのは、植物を作るとき、川下の買う人のことまで考えられているかどうか…ということなのです。

追記:2020年9月25日

ありがたいことに各SNSで当記事に言及があり、(ほんの少しだけ)ご意見を目にしました。
その意見は

3つの要素がなくても植物を買う

というものです。
僕がこの記事に書いたのは、植物を趣味とするひとも含めて、なぜ初心者の方が継続して植物を購入しないのか
以前、植物を買っていた層はいったい、どこへ行ってしまったのか…という思いがありました。

コロナショック以前には年を追うごとに園芸関連の支出は減少する一方、園芸店でみかける植物はいつも同じ。
かたやネットショップやフリマアプリなどでは植物の取引が盛んでバラエティーも富んでいます。
園芸を取り巻く、あらゆる前提条件があっという間に変化し、僕ら生産者側は気が付かない間に、何か重要なことを忘れているのではないかとある日、感じました。

そこで考えたのは、3つの条件が不足しているから、園芸という趣味から人々が遠のいてしまう
さらにいえば、この3つの条件を前提に物事を当てはめれば何かが見えてくるかもしれない、そう思い執筆したのです。

確かに、当投稿は「花の文化」や「伝統」、その他、園芸趣における重要なものをすっ飛ばした、無機質な内容ではあります。
確かに、3つの条件のどれかひとつでも当てはまらなくとも、植物を買おうとするひとは存在するはずです。

けれどそれらは植物を好きになれたひとの言い分であって、植物を好きになれなかった、植物から遠のいていったひとの気持ちにはより添えてはいないのではないでしょうか。
花があるから文化があるのは正しい。
花の文化を守るのは重要だ。
それらは「花」や「植物」の文化を理解している、ある種「属した人」のハナシであって、部外者からしたらそんな話は無意味なのです。
花の文化や伝統を重んじるのはあって然るべき議論ではあるものの、それを受け継ぐ「ひと」がいなければ成り立たないのも当然ですが、道理です。

植物が好きなひとが好きなひと同士で寄りあうのは楽しく、僕もたまにやります。
植物が好きな人だけに、分かる人だけに植物を売っていけばいい。
そのコミュニティのなかだけで楽しんでいればいい。
けれど、そんな排外的な考えが今の園芸業界の事情を表しているようにも思うのです。
誰もがやりたいときに、やれる植物を、手の届くように提供する。
インターネットネットが当たり前に普及している今、情報は格段に手に入れやすくなっているのも当然のこと。
それを踏まえた大きな開口部がいまや、メルカリなどの商空間に移っているように思うのです。

そもそも、僕のブログを遡って読んでいただければ、別に売れるものを売ればいいみたいな書き方をしたことはないはずです。
逆に言えば、なぜコーデックスなどの珍奇植物が売れるのかを考えた結果、こんな要素があるから売れるのではないかという書き方はしています。
じゃあ、それを活かしていくには?という提案を投げかけているつもりではいるのですが…。

と偉そうにモノを言っていますが、この投稿だって正解ではありません。
きっと、誰かの不正解です。
園芸業界という沈みかけの船を立て直すために、もっと考えていきましょう!
もっと発信していきましょう!
今後ともよろしくお願いします。

  1. 参照:園芸品・同用品支出金額推移 | 株式会社大田花き花の生活研究所 []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。