母の日直前のこと。
SNS上に投稿された「心の声」が話題となりました。
母の日だけど、お花は要らない!?
母の日直前、世間を賑わしたひとつのツイート
来週は母の日ですね。
— はじめちゃん (@hajimechan2001) May 5, 2019
言ったら怒られるであろう介護職の心の叫びをつぶやかせていただきます。
母の日には、たくさんの花が贈られ(送られ)てきます。
介護職に、利用者のお世話に加え花の世話という仕事が増えてしまいますので、できれば花を贈るのはお控えいただきたい。
以上、心の声でした。
一部、テレビでも報道された(らしい)このツイート。
介護の現場では贈られた植物の管理も介護職の方々がしなければならず、負担になる。
そのために花を贈るのを控えてほしい…というもの。
読んで「確かに」と思ったのと同時に、今後、植物を育てることが「負担」となるケースが多く起こるだろうと思ったのです。
前回の投稿にも書きましたが、日本国内の園芸業界は母の日を含む「物日(ものび)」で成り立っている企業が少なからず存在します。
そして、そんな「物日」によって、現場の労働力が擦り減らされている一面もあるのです。
物日に頼り過ぎない働き方を考えていく必要があると僕は思います。
引用元: 母の日を前にすると思い出すこと。とある生花店をクビになったハナシ | ボタニカログ
なぜなら、労働力の再生産ができない経営は確実に先細るから。
日を追うごとに進む、少子高齢化。
2036年には3人に1人が高齢者となる推計です。
従業員への教育や継続的に雇用できないような環境では、自分の首を絞めるだけです。
いまの状態を生産力の低下した現場で継続するのは、到底無理だと思うのは僕だけではないはず。
むろん、墓参りに行こうとか、母の日ギフトを買いに出かけるなど、物日前後にアクションを起こす消費者数も減少し、消費も減るのは目に見えています。
そのうえで。
話題になっているのは消費者側が「母の日」の花をどう扱うかということ。
他の方のツイートには、
来週は、母の日。
— りさよ (@akaitennoshuten) May 6, 2019
高齢の母は、数年前から普通の生活動作に差し障りがでている。
なのに。
毎年、植え替え&世話が大変な鉢植えの花を持ってくる姉。
持ってきても世話できないからいらないって、言われたよね?
なのに、カーネーションいらないっていうから紫陽花にしたよって。
ねぇ、バカなの?
とも。
鉢植えのカーネーション、実は水をよく吸う。
育てたことがあるひとなら大いに賛同いただけると思いますが…。
鉢植えのカーネーションもアジサイも、たいへん多くの水を欲する植物です。
晴れた日が続けば、鉢植えのものは毎日のように水を与えなければなりません。
少し怠れば水切れを起こし、クタクタになってしまう。
贈り物を枯らしてしまえば、自責の念に駆られてしまうのは、人として当然のこと。
そうなれば、植物に対する苦手意識も生まれてしまうのではありませんか。
加えて、思うように身体を動かせなくなったとき、植物の管理を他者へお願いする場合もあるでしょう。
ただでさえ枯らすことに罪悪感を持ってしまうものを、他人に押し付けるようでは如何にしても心苦しいことです。
「栽培が負担」と感じる人は、間違いなく増える
「母の日」に花を贈ることは悪いことではありませんが、一方的で無意義な商戦によって多くの人へ負担を強いているようであれば、衰退は免れません。
なぜなら、植物を思うように栽培できなくなる人が多くなると予想できるから。
厚生労働省が公表している、高齢者推移の統計情報には、
総人口が減少する中で高齢者が増加することにより高齢化率は上昇を続け、平成48(2036)年に33.3%で3人に1人となる。54(2042)年以降は高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇傾向にあり、77(2065)年には38.4%に達して、国民の約2.6人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されている。総人口に占める75歳以上人口の割合は、77(2065)年には25.5%となり、約4人に1人が75歳以上の高齢者となると推計されている。
引用元: 1 高齢化の現状と将来像|平成29年版高齢社会白書(全体版) – 内閣府
とあります。
僕はこの推計をはじめてみたとき愕然としました。
これは間違いなく、園芸業界の今後が厳しくなるだろう、と…。
母の日商戦は、間違いなく先細る
花を贈ることを再考してみる
いつか「母の日」の贈り物は植物のように管理が必要なものではない、他の何かが主流になったとき、消費が減るのは目に見えています。
負担になることが分かっているなかで、わざわざ植物を贈る人はそうはいないでしょう。
だからこそ、植物の品目を工夫したり、負担の無いような栽培設備も併せて提案してみたらいかがでしょうか。
はたまた、お菓子などの食品や、相手の意見を聞いたうえでのプレゼントでも最良だと僕は思うのです。
母の日が終わったら捨てられる「キレイな花」たち
先日、母の日のあとに立ち寄ったスーパーでは、それまで店頭に並んでいたカーネーションやアジサイの鉢植えに割引シールが貼られていたのです。
売れなければ、売り場を圧迫する、ただでさえメンテに追われる植物はもちろん廃棄されます。
いわゆる「花ロス」とされるのです。
5月12日は母の日。毎年、大量のカーネーションが、花屋の店頭を彩る。だが、売り切れないものも多い。翌日には廃棄、もしくは値引き販売される。値引きしても売れ残ったものは廃棄される。 食品ロスを、食品を必要なところへつなぐ活動をしているフードバンクの職員を筆者が取材した際、「花でロスが出ている」という発言を聴いている。
引用元: 「もうやめて」母の日の花ロス(井出留美) – 個人 – Yahoo!ニュース
ゆえに「母の日」ではない別の日に花を贈るのも良いだろうという意見もあります。
買う側は、節分に恵方巻を買う、母の日にカーネーションを買う、それもいいが、買う日をほかの日にずらしてみるのも一案ではないか。 筆者は母の日にカーネーションを贈ったことがない。少なくとも、ここ10年くらいでは、ない。代わりに、誕生日と母の日を合体させて、ちょっと奮発して、一緒に行く泊まりがけの温泉旅行をプレゼントしたり、一緒に竹富島へ旅行したりするなどの贈り物にしている。
引用元: 食品ロスだけではない、母の日の「花ロス」 子ども食堂へ寄付する事例も(井出留美) – 個人 – Yahoo!ニュース
この意見に僕も賛同で、日本中の鉢物農家は母の日を目指して植物を生産しています。
ところが、気候の変動などにより多くの農家が生産調整に失敗すると、ある時期に大量に植物が出荷され、市場に商品がダブつく。
すると、セリにかけられた商品の単価が相対的に低くなり、ワリにあわなくなるのなら出荷を控える…という場合もあるのです。
で、母の日が過ぎれば、とたんに売れなくなり、行き場がありません。
長く置いておけばその分、維持費もかさむわけで、生産側という流通経路の上流で仕方がなく廃棄…ということもあるのです。
鉢物農家の方々は、最良の期間に出荷をすることこそ、プロであるという自負を持っています。
あらゆる手段を尽くし、ピタリと出荷日に合わせて花を咲かせる。
僕はそんな話を耳にするたび、敬意の念を抱かざるを得ないのですが、だからこそ「母の日の負担」や「花ロス」の話題に思いを馳せれば、何ともやるせない気持ちになるのです。
ならばひとつの解答として、母の日の少し前や後に花を贈ることも選択肢のうちにあっても良いように思います。
「母の日に何もくれなかったけど、私をなんだと思ってるの!?」
などと思ってしまう「母さん」には、母の日当日に食品やエステ券などを送り、改めて花を贈るのも悪いことではないはずです。
そのうえで負担にはならない商品、たとえば数年前から流行している「ハーバリウム」も長く美しい花姿を楽しめる絶好の商品を送るのはいかがでしょうか。
どちらにしても相手のことを思って贈るのがいちばん。
先日、職場のおば様方が話していたことは、
「姑にあげた服が翌年には雑巾になっていたというのを聞いたから、一緒に買い物に出かけ、会話しながら選んでもらい、買ってあげるのがいちばんよね」
とのこと。
長らく僕も母と買い物には行っていません。
母の日ではない時期に、ちょっとデパートにでも出かけてみようかな…と思った次第です。
で、僕は何が言いたいのかというと。
僕は母の日はあって然るべきだと思います。
むろん、母の日に是非とも植物を贈ってほしいと思っています。
が、あらゆる事情により植物を育てることが負担となるひとにわざわざ、負担の大きな植物を贈ることはいかがなものか…。
ツイートを読んで正直、考え込んでしまったのです。
なぜなら僕も、その一端を担う仕事をし、そのおかげでメシを食べているのだから。
「母の日=カーネーション」という短絡的な発想のまま、ありきたりな植物を生産していて良いのでしょうか。
ややもすると、やがて業界全体が先細り、衰退するだけではないのだろうか。
というより、先述のようなツイートが出回る時点で、もうその現象が始まっているような気がしてならないのです。
僕がこの投稿で言いたいのは、次の一手は何かと考えようということ。
考え続けようということ。
議論をしようということ。
賛同でも批判でも、アイデアの投げ合いでも構いません。
このままだと「植物に触れ合う機会」がまたひとつ消失するように思えてならないのです。
何はともあれ、園芸は「娯楽」です。
植物を育てるのなら、楽しく育てたいもの。
感謝の気持ちを込めた花が負担になるなんて、残念で極まりませんから。