いま「コロナ禍」と呼ばれる新型コロナウィルスによる影響が各方面に広がっています。
園芸業界も例外ではありません。
新型コロナウィルスで花業界に何が起こったか?
2020年3月。
コロナウィルスによる感染者が都内で報告されると同時に、卒業式のキャンセルが相次ぎました。
装飾や贈り物として扱われるはずだった切り花などが行き先を失い、ダブつく。
市場では商品の価格が値下がりし、出荷する方が赤字になると考えた農家は、廃棄処分を考えたり、身の回りで配りはじめるという報道を多く目にするように。
そんなとき、農林水産省がYoutubuで「花いっぱいプロジェクト」と称した動画を公開し、国民にさらなる花の消費を呼びかけました。
ちょうど「ホワイトデー」の時期と重なり、僕の周辺でも花を買う人がちらほらと見受けられもしました。
そんな現象を見て僕は、少しずつ花や植物に親しみを持ってくれる人が増えたら、こんな喜ばしいことはないと感じたのです。
…が、それも束の間。
国は4月7日に東京・神奈川・千葉・埼玉など7つの都道府県に対して「緊急事態宣言」を発令。
東京都では一瞬、花の販売先である「ホームセンター」などが休業要請の対象にされるのではないかとの情報がありましたが、市民の日用品を購入する重要な施設だとして営業の継続が許可されました。
「園芸店」や「生花店」もいまのところ、休業要請の対象には入っていません。
しかしながら、大型ショッピングモールなどに入居する店舗や、自主的に休業を決めた大手の店舗もあり、全国に緊急事態宣言が発令された昨今、影響はどこまで広がるのか見当もつきません。
4月はじめの緊急事態宣言が発令される直前、僕はこう考えていました。
ホームセンターも休業し、緊急事態宣言が5月6日に解除される…。
もしそうなった場合、あらゆる商業活動が再開され、さまざまな配送業務にも影響が出かねない。
なのになぜ、業界はみな「母の日」に拘っているのだろう…と。
2020年5月は「母の月」になります
そして僕の心配事は多くの人も同じように考えていたようで、先日、こんな発表がなされたのです。
ことしは来月10日が母の日ですが、例年、直前の数日間に生花店が混み合ったり、配送が集中したりすることから、来月1か月間を「母の月」として分散して花を贈ることを呼びかけます。 また、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うイベントの自粛などで花の需要が大きく減少していることから、1か月間のキャンペーンで需要の下支えを図るねらいもあるということです。
引用元: 来月1か月間を「母の月」に 母の日の配送集中回避 新型コロナ | NHKニュース
花の業界団体が農林水産省の協力を得て行うという、この取り組み。
僕はもちろん、賛成です。
そのうえで僕の考えていること。
もう来年からも「母の月」で良いじゃんということ。
結論から書けば「母の日」が「母の日」でなくなったのは必然的なことだった。
コロナの影響だけではなく、なるようにしてなっただけのことだと僕は思うのです。
母の日の労働は極めて「密」。こんなこと、あと10年も続けらない
誰がための「母の日」?
まずはひとつめ。
母の日の「労働」について。
以前もこのブログに記事を投稿しましたが、園芸業界はこの「母の日」にめがけて、あらゆる労力を投入しています。
母の日のような繁忙期は「物日(ものび)」と言い、鉢物・切り花などの分野に違いはあれど、大抵の企業・農家は母の日が一大イベント。
なのですが、母の日に注力し過ぎて、業界は疲弊し、従業員は使い捨て。
国内のシニア化する「母」にばかり目が向いてしまって、他の世代へ商材としての園芸が空っぽになった。
そう、業界全体の潜在能力が極めて低くなったのです。
いわば、園芸業界=母の日業界、という構図にいつしか収れんしてしまった。
その結果、消費者に何が起きていますか?
恐らく「母の日にしか、植物に触れてないじゃん?」というのが現状だと思うのです。
上記の投稿にも書きましたが、母の日はいずれその基盤を失う(後述)。
ならば今のうちに、もっと広い視野で物事を考えるべきだと、僕は考えています。
まず、大事なこと。
母の日は「母」に感謝を伝える日です。
けれど、母の日商戦に参加する従業員たちは果たして、自らの「母」と呼べる人たちに、感謝を込めた花を贈れているのでしょうか?
母の日があることで、ゴールデンウィークに実家へ戻ることもできずに、身を削りながら働いている人がたくさんいます。
テレビの空港に映る家族の高揚感ある光景に、一末の憎悪を抱きながら…。
逆に言えば、園芸業界のひとたちがいちばん、「母の月」を体験しているのではないでしょうか。
一通りの「母の日」商戦を終えたあと、母の日ではない日にきっと、感謝を伝えている人々が数多くいるはず。
だから「母の月の実現が難しい」と言っている人ほど普段、母への感謝を怠っているということ。
経験がないので分からないという思考停止を、自ら宣言しているようなもの。
「母の日」って誰のための母の日なのでしょうか。
沈みゆく「母の日」という巨艦
日本はこれから「母」と呼ばれる人が減るのは確実です。
その理由を挙げれば、
- 少子化によって花を渡そうとする子もいない
- 生涯未婚率も上昇し、結婚もしないから「母」が生まれない
- 高齢化で贈答する対象となる「母」が施設などに入居し、花を贈る機会が減少する
など。
最近では「手のかかる植物」を贈ることへの負担感について、議論が巻き起こりました。
もう、残念ながら日本はそういうフェーズに入ったのです。
経済アナリストの中原圭介氏は著書の中で、
さらに日本が厳しいと思われるのは、これから65歳以上の高齢者人口が増えていくと同時に、75歳以上の後期高齢者人口の増加が著しくなっていくということです。先に述べたように、2017年の高齢化率は27.7%でありますが、75歳以上の後期高齢者の比率は13.8%とすでに高齢者全体の2分の1を占めるまでになっているのです。今後は前期高齢者(65~74歳)の人数も比率も頭打ちが近づいていく代わりに、後期高齢者の人数や比率が飛躍的に高まり続けていくことが見込まれています。ですから、日本の高齢化は2017年を境に、新しい局面に入ったといえるでしょう。
引用元:AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか
人口ピラミッドの推移をみてみると、2010年の老年人口(=高齢者人口)23.0%の内訳は、前期老年人口(=前期高齢者人口)が51.9%、後期老年人口(=後期高齢者人口)が48.1%となっています。しかしその後は、後期老年人口の比率が際立って上昇し続けることとなり、2060年には老年人口38.1%のうち、後期老年人口は67.4%と前期老年人口32.6%の2倍以上に高まっていくのです。後期高齢者になると寝たきりや認知症など身体的な衰えが強まる傾向となり、社会保障費の膨張を引き起こすのが避けられない情勢となっていくというわけです。
と、述べています。
統計でも確実に「母」が高齢化してゆくのがみてとれる。
みなが大切にしてきた「母の日」という商機が年を追うごとに、その威力を衰えてきている。
沈みゆくタイタニック号のように、生存するための「場所」や「足場」がみるみるうちに消えていくのです。
果たして、高齢化しゆく「母」に花を贈るという価値観は今のまま次の世代へ継承できるのでしょうか。
その事実をまず、直視しても良い頃なのでは?
「密」な働き方を分散し、平坦にする
そんなところにコロナショックです。
花や園芸業界だけではなく、多くの産業がこの危機に瀕し、喘いでいます。
そんな状況下でこのような言い方は不謹慎ではありますが、敢えて僕は言います。
これは、未来へ向けての「チャンス」なのではないのか?と。
不謹慎すぎるので言い方を変えれば、いったん立ち止まって考えてみる契機でもあるのだろうと、感じるのです。
コロナショックによって「テレワーク」などが増え「あれ?往復4時間もかけて職場に行かなくても良いじゃん」と気が付いたのと同じように、園芸業界にも旧来の働き方へのアンチテーゼが図らずも巻き起こっているのではないでしょうか。
母の日というたった1日に向けて、臨時で雇われた従業員がたくさん集まり、ドドドっと不休の作業を行う。
そうしてつくられた商品は、これもまたドドドっとあらゆる配送業者に運ばれる。
結果、現場で何が起きているのか。
- 臨時の従業員が不慣れな仕事をこなすことでミスが起こる
- 高齢者の従業員が多いので、ミスが放置される
- 休息や余裕がないので、ミスに気が付かない
そして、
- ミスがミスを呼んで、最終的に質の低いものが流通する
のです。
今日よりも明日、今年より来年、高齢化が進む業界にあってはそのクオリティが低下するのは避けられないこと。
農業を生産年齢人口で支えることのできた時代の「母の日」と、現代の「母の日」とはまるで状況が違います。
担い手も少ない。
商品に多様性を求められるのに、現場に柔軟性がない。
高齢化した現場が悪いのではなく、若い人が入っても逃げてしまう労働環境であることが悪い。
2005年の農林業センサスによる花き従事者(年齢別農業従事者数(自営農業に従事した世帯員数))の年齢最頻値が53歳。
ついで中央値が56歳。
労働力の再生産がないゆえに10年後までは続かないのは明白。
70歳に近い労働主体で、日本全国の母の日を支えられますか?
結果、母の日の贈答品は花じゃない何かに替わるか、国外のものになると考えています。
いや、それよりも以前に僕が生花店で働いているときから、行き詰まりが見えていた。
それを僕も気が付かなかったし、いまやっと、その原因が何なのか、僕は理解し始めています。
それは端的に言えば、ひとつは「贈答品でもカネを払えばことは済む」という短絡的な考えの結果。
これについては後述。
だからこそ「母の月」によって、空間的にも時間的にも、そして関係者による精神的な面においても、あまりにも「密」、いや「濃密」な状況を、できるだけ分散し、なるだけ平らかにできるかどうか。
ここが重要だと僕は思うのです。
手遅れになりつつある「母の日」を続けるのならば…。
消費者へのメリットは多大だ
思った以上にまだ「母の月」が浸透してはいません。
が、たった1日の「母の日」に日本国民が慌ただしく植物を売り買いするよりも、ひと月のあいだに余裕を持って花を贈ることができれば、消費者にとってもそのメリットは多いはず。
- たとえば、実母や義母にそれぞれゆっくりと感謝の言葉と贈答品を贈ることができる。
- たとえば、「遅れてごめんね」と罪悪感交じりで渡すよりも、正々堂々と自分のタイミングで花を渡せる。
- たとえば、ゴールデンウィークに休みではない人でも、無理なく、対面でも花をプレゼントすることができる。
何よりも重要なのは、生産・流通側にゆとりができ、商品に付加できるクオリティが増すこと。
すぐに枯れたり、虫がついている植物を貰って喜ぶ消費者の方はいないはず。
一度きりの「母の月」かもしれませんが、その意味を、その結果をしっかりと考える機会だと僕は思います。
「手間」を贈る母の日からの決別
僕の母は花が苦手だ
ふたつめ。
僕の母は、花が好みではありません。
特に管理が必要な鉢花であったり、虫などが混入している可能性のある「自然的なもの」を受け入れようとはしません。
だから僕は、母へのプレゼントははじめから花を選択肢から外しているし、花でなくとも多様なプレゼントが数多く存在しています。
園芸業界に身を置きながら、実の母に花を贈らないとは、何ともスジが違うとは僕も認識しています。
けれど、そういう人が実際にいるのは事実です。
母が「花は苦手」と知ったのは、たしか僕が小学校を卒業したころくらい。
それまでは義務教育のなかなどで「母の日にはカーネーションを贈って、感謝を伝えましょう…」などと教わり、花を贈ることが常識で、いわば正解であると認識していました。
ところがある日、「アタシ、植物は何でも枯らすから、花以外のものが欲しい」との告白が。
妹と悩んだ挙句、母に贈ったのは近所のスーパーで買ったエプロンだったのを今でも覚えています。
プレゼントしたことのみの自己満足に終わる
以降、何度か花を渡すタイミングがあっても、そのたびに「アタシ、無理だからアンタが管理してね」となる…。
そこで感じたのは、僕らが
母へ花を贈ったことが自己満足に終わっている
ということ。
母の日だからと慌てて買った花を急いで渡したところで何のねぎらいにもならず、何の感謝にも直結していない。
それは裏返してみれば、贈る相手のことを少しも考えていないということに他ならないのです。
贈った花はかえって、母の手を煩わすことになり、家事の中に突然、新しい「植物の管理」というアクションを強いられる。
いっぽうで贈った本人は「大切に育ててね!」「キレイに飾ってね!」という暗黙のプレッシャーを、母に向けるのです(笑)。
で、いざ花を枯らそうものなら「何で枯らしたの?」と悲哀の目を向けられる…。
いま思えば、母が花を嫌がる理由も何となくわかる。
アンケートに見る、手の掛かる花を忌避する傾向
日比谷花壇(母の日コム)が発表した、2020年の母の日に対するアンケートには、
◆お母さんがもらいたい花は、「そのまま飾れるフラワーアレンジメント」が増加し、最多の回答に。一方、贈りたい花は、「長く楽しめる鉢植えタイプのお花」がトップ。
引用元: 「母の日コム 贈る人もらう人アンケート 2020」結果発表新型コロナウイルスの影響やその中での心理が、母の日のプレゼントや過ごし方の予定にも。|株式会社日比谷花壇のプレスリリース
もらう人への「母の日にもらうとうれしいお花のタイプはどれですか」という問いに対し、「そのまま飾れるフラワーアレンジメント」(32.3%)が最多となり、昨年の3位から1位へと上昇しました。次いで「美しく咲き続けるプリザーブドフラワー」(23.4%)となっています。
贈る人への、「母の日にお母さんに贈りたいお花のタイプはどれですか」という問いに対し、「長く楽しめる鉢植えタイプのお花」(27.3%)が昨年より回答が増えて最多、次いで「そのまま飾れるフラワーアレンジメント」(25.5%)。「美しく咲き続けるプリザーブドフラワー」は昨年より回答が減っています。
との結果に。
「もらう側」において、管理が煩雑なものはできれば遠慮したいとの意思が、アンケート結果を見ても如実にわかります。
いっぽうで贈る人は「ブリザーブドフラワー」「鉢花」「フラワーアレンジメント」ともにほぼほぼ同数で、けれども「鉢花」は年々減少しています。
これは「もらう人」と「贈る人」の意見が合致してきている。
つまり、「母」の年齢層も変化し、それに応じて嗜好も変化。
あらゆる世代の人に「手のかかる花」が忌避される傾向にあると僕は読みました。
相手の立場や趣味嗜好を勘案し贈答されるのが母の日ギフト。
数年前までは多数(マジョリティ)派だった産業分野がマイノリティ化する現象がいま、目の前で起こっているのかもしれません。
外部空間との絶縁が極まる現代
身近に緑や土のない環境に育ち、それらに縁のないまま「母」になったひとは、今後ますます増えていくはず。
なぜなら都市への一極集中で生産年齢人口の多くが都市周辺に住まうから。
ましてや外部空間との絶縁が極まりつつある居住空間で、土の入った鉢花をそのままドテンと置く感覚に理解できない…という意見も増えてくると僕はみています。
いまはまだ僕の母のように、はじめから花を忌避するひとは希少な存在なのかもしれません。
逆に言えば、だからこそ母の日をどこか「花を贈る特別な日」とみる危険性も理解できたのだと思います。
花がスイーツや、それこそ海外で生産された安くて質の良い何かに代替されたとしても、はたまた、母の日=花という定義が根底から崩れ去ってもたぶん僕は、「ふ~ん、そういうこともあるよね」と驚きもしないでしょう。
「花を買う」という価値観が多様化している
「飾る」だけの用途では、期待したほど需要が伸びなかったのでは?
3つめ。
今回の「コロナ禍」は、家にいることが多くの国民に求められています。
テレビでもラジオでもしきりに「STAY HOME」を呼びかけられました。
家にいることは当たり前ですが、家で行う行為に時間を掛けられる。
居住空間での滞在時間が長くなったことで、植物と触れ合う時間が増えたのは間違いないと僕は思う。
…なのですが、「部屋を装飾する」とか「室内を花で彩る」といった飾る方面の用途では、期待したほど需要がなかったのでは?と個人的には考えています。
なぜか。
業界が[花を飾って終わり]というセールスポイントを保護し、尊重してきたことで、消費者の意識が遠のいているから。
このブログにも何度か書いていますが、いまや「植物を飾るために買う」という動機がすべてではありません。
商品が多様化しているのではなく、価値観が多様化しているのです。
能動的に植物を買おうとする人たちの価値観は、「飾る」よりも「育てる」こと、つまり「体験」という方向に価値観の重きが移っているのです。
だから植物が好きな人はつい、育てられる植物を贈ってしまう。
いっぽうで、植物を育てることに関心のない人は贈られた植物を苦痛に思ってしまう。
価値観のパラドックスが起こっている。
上記の日比谷花壇のアンケートもそんな傾向がみられると僕はみています。
そのうえで、今回のコロナショックで押さえておきたいのは、
- 植物と対峙する時間が増え、対峙した分の「反応」や「変化」が植物にあるかどうかを明確に消費者が理解できるか、できたか
- 家から出ないことによって、必然的にネットやSNSでの発信は「家の中のもの」が増える。そして発信回数も増える。そこに入り込むためのデザイン的な、あるいは機能的な施策は園芸業界にあったか
- 案外、店に足を運ばなくても植物が買えることが分かった→これまでの販売方法ではモノが売れない。ということが加速する
など。
「エモ消費」という消費行動
園芸は「育てること」に意味があります。
育てるという行為の中で、どう植物が変化し、その変化に自分を重ね合わせ、自分と植物との関わりあいを消費者がどう感じ、どう誰かに伝えるのか。
「エモい」という感情を起点とした価値観をまずは考慮し、そのうえではじめて購入するという層があること。
僕もそうだし、僕の周囲にも確実に存在しています。
そんな体験をすることによって消費が継続する。
一度きりの体験ではなく、年を追うごとに新たに見えてくる発見を、よりカジュアルに体感できる。
何度も言いますが、園芸は自分の身をもって「体感」することに本義がある。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
いまの園芸がつまらなくなったのは、ひたすらにカネをつぎ込まないと維持ができない「消費型」の園芸が主流だから。
経済格差や将来への不安が募る中で、見当違いの商品群に消費者の足をが遠のくは当然のことだと思うのですが…。
コロナショックで変化するのではなく、進化が早まるだけ
コロナショックの影響で露呈した「時代遅れ」
最後に。
冒頭にも書きましたが、「母の日」が「母の日」ではなくなるということ。
これは別にコロナショックの影響だけではありません。
「社会が高齢化し、消費者層も変化すれば、いずれそうなるよね」という事柄が単に露見しただけ。
それも園芸業界だけに限った話ではありません。
あれほどまでに「働き方改革」や「オリンピックのための労働環境整備」が話題になっていたのにもかかわらず、進んでテレワークの導入ができなっかったところが出遅れた。
1世帯につき布マスク(アベノマスク)2枚というのは、マスクを生産する労働力やサージカルマスクを確保できる国力が日本にはなかったと分かった。
いずれ社会がこんなカタチに変容するだろうね、との結果が早く出た、それだけのことです。
だとすると、あらゆる業種・業態の変容が加速度的に早まる可能性があるということでもあります。
AIの導入然り、IoTの普及然り…。
コロナショックによって何かが変わるというのは間違いで、変化が早まるという理解のほうがスッと腹落ちします。
いまが「第3次世界大戦」ならば?
安倍首相のいうように、いまのコロナウィルスとの戦いが「第3次世界大戦」であるならば、この戦いに打ち勝った「戦勝国」こそが次の時代の先頭を進んでいくことになる。
言うまでもなく、「敗戦国」が「戦勝国」に隷従していくことになるのは、2つの世界大戦を通してみても明らかです。
それと同じく、このコロナショックの煽りを受けた(ということになっている)母の日、または母の月をどう考え、どう乗り越えるかが一つの分岐点である。
つまり、「コロナ」+「母の日」の業務体制のなかで、ダメなところはダメのままで急速に衰える。
「コロナ」の影響に注視し、その深淵にある意味を考え、変化することができた企業が残り、労働環境・商品の質と量・賃金や従業員のポテンシャルの差など、あらゆる面で「二極化」するということ。
話が飛躍していますが、それほどぶっ飛んだハナシではないと僕は思います。
そのうえで「STAY HOME」。
先述もしましたが、「STAY HOME」とは「家にいろ」ということです。
果たして僕らは長時間、居住空間に滞在するという意味をしっかりと捉えられているのでしょうか。
もちろん、感染症にり患しないという防御策の面においても。
今朝のニュースで「パチンコ店」の次に、ホームセンターも「不要不急」の買い物をする人がいるとして、密集・混雑しているとの報道がありました。
「母の月」はそもそも感染症対策(物流支援)のため。
ひとりの無責任な行動が感染を広げるという認識をまずは持つべき。
そのうえ、当然のことではありますが、園芸という趣味は居住空間のその周辺で行われるものです。
逆に自分が長時間家にいる状況になったら、そのとき園芸的な行為は何をするだろうかなどを考えられたのか。
業界に携わる関係者は極めて大きな局面にいるという認識と、そのうえでの考えは整理しておくべきだと思います。