ドキュメンタリー映画『ふたりの桃源郷』を観て感じたこと。この映画、テーマはひとつじゃない。

仕事でよく東中野には行くのですが、駅のすぐ近くにある「ポレポレ」という映画館に初めて行きました。

山で暮らす夫婦を25年間追った「ふたりの桃源郷」を観てきました!

物語は山での暮らしからはじまります

実は、いま(ポレポレ東中野では8月5日まで)公開されているドキュメンタリー映画を観てきたのです。その名も「ふたりの桃源郷」。

電気も水道もガスも通っていない山口県の山中で、還暦を過ぎた夫婦が子供家族に頼らぬよう生活をしていた…というところから物語は始まります。

内容を詳しく記せば、ネタバレになってしまうので、一部を掻い摘んで僕の感想を記していきます。

物語が進むにつれて表面化する「老い」

その夫婦は振り込まれる年金で米を買い、あとは山の中でつくる農産物で食を賄うという暮らしを送っています。年金も高額ではなく、むしろ少ない…。

それでも夫である寅夫さんは、「食べるものは自分でつくる」と言い、夫婦が協力しあいながら山の木を伐り、畑で採れた野菜などを調理する…。映画の序盤は淡々と生活を営むシーンが続いていきます。

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ところが、中盤からは予想通りというか、危惧していた通りというか…。夫婦に迫る「老い」という現実。映画が進めば進むほど、身体が思うように動かなくなること、病気に体力を蝕まれていくこと、つまり「老い」の辛さ、苦しさがストレートに伝わってくるのです。

家族が山での暮らしをサポートする

やっぱり、ノンフィクションの威力は凄まじい。なんの演技もない、なんのてらいもない、被写体の人生をそのまま切り取っているので、僕は中盤から見ていることが辛くなっていきました

ところが、当初は反対していた周囲の家族が、山で暮らす夫婦を想い、彼らの信念をなるべく尊重しようと生活のサポートをしていくのです。そして、平成19年には寅夫おじいさんが、妻であるフサコおばあさんも平成25年に亡くなります。

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パンフレットにはフサコおばあさんを最期まで介護していた三女の恵子さんのお話が掲載されています。

――フサコさんが亡くなった時は、どのようなお気持ちでしたか。

恵 変な言い方かもしれないけど、″やったぁー!″と思ったの。歯ブラシのチューブを使い切るように、すべて出し切った。これ以上はできないぐらい、やりきって、母を送ってあげられた。亡くなった母の口に、山の水を含ませてあげて。

引用元:ふたりの桃源郷ーパンフレット

安易な言葉で言い表すのなら、家族の絆があったからこそ夫婦は、ギリギリまで、直接的にも間接的にも山での暮らしを謳歌できたわけで、「家族って大切にしなきゃなぁ」と思わされてしまいます。…と、映画を観た直後は感じましたが、この表現はかなり短絡的

しばらく時間をおいて、頭の中で考えてみます。この映画は一体、何を言いたかったのか…。

結局、浮かんできたのはあらゆる要素が総合的に絡んでいて、伝えたいことをひとつに絞れないんじゃないか、ということ。

この映画のテーマは1つじゃない

なぜか。

それは今後、僕らにも必ず問われるであろう問題が全部詰まっているから。要するに、この映画のテーマは1つじゃない

思いつく限りを挙げれば、

  • 親が病気になること
  • 老いた親の生活をどう支えていくのか
  • 僕ら子供世代の生活・仕事
  • 親の死
  • 自らの病気
  • 家族との関わり
  • …etc

そしてこれらと奥底でリンクしているキーワードが「農との関わり」なのだと感じました。つまり「人間が人間らしく生きていくためにはどうすれば良いか」を夫婦の生きざまが問うているように思うのです。

「食べるものは自分でつくる」から生まれる感動

身体が思うように動かなくなった寅夫さんが、地面に這いつくばりながらも、草むしりをするシーンがありました。僕はこのシーンが非常に胸に突き刺さるのです。

冒頭にあげた寅夫さんの言葉、「食べるものは自分でつくる」。これを力の限り実践していたのでは?と感じるのです。さらに言えば、除草剤をまいておしまい、あるいは草むしりなどしたこともない現代に生きる僕らに放たれた、強烈なアンチテーゼなのではないのかと…。

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話が変わりますが、今日の晩御飯。僕は某メーカーの冷凍食品を食べました。いつ、どこで、誰がその材料を採り、どう調理され、流通したのか分かりません。でも美味しいし、メーカーは「安全・安心」を標榜しています。付け加えれば、それほど高くはありません。

ただ、いつも思うのは、こういった食品を食べても、まるで感動が起こらないということ。あの土だらけで、薄汚れた野菜がこんな姿に!?みたいな感動はありません。その食材が調理される前の姿を、僕は見ていません。また、それを作っているのも僕ではありません。

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一方で、種を蒔いてから調理するまでの一連の流れがあっての食卓…。きっと、どんな料理でも美味しいだろうし、いつも何かしらの感動・驚き・発見があるのかもしれません。そう考えると、どんなに高額で、どんなにオーガニックで、どんなにオシャレな料理であっても、「自分でつくる料理」に比べれば貧相ですよね。

「金より食」という価値観

映画の後半、義理の息子である安政さん(*01)が寅夫さんについて「金より食だったのでは?」という趣旨の表現をしていました。正直、その言葉を聞いたとき「その価値観、僕にはないなぁ」と直感しました。まずは働いて、お金を稼がなくちゃならないってよく言うぢゃん、みたいな。

でも、考えてみれば至極当然なこと。本来、仕事というのは「農」とか「食」にリンクしていたはずで、いつの間にかそれが薄れていってしまった。食べることも大切だけど、お金を稼ぐことのほうがもっと幸せになれるのではないかと…

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とはいっても、「金より食」という言葉に共感して、行動ができるのかといえば、そうではないし。いや、それでも自分のできる範囲で、種から育てたものを食卓にあげる行動はすべきなのかもしれません。

映画はこれからも、日本の各地をまわります。観ればその感想は、きっと人それぞれ。誰かに勧めたいと思っても、僕のように「こういう映画だよ」とは、簡単には説明しきれないようにも思います。だからこそ、友人と一緒に見て、物語について語り合うのも面白いかもしれません…。

この記事の脚注

  1. 三女・恵子さんの夫 []
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