何故でしょうか…。当ブログのアクセスにおいて、無視できないほど流入が多いのが「珍宝閣(ちんぽうかく)」のまとめ記事です。
各種エロティックプランツは、なかなか人気が高いようで、植物興味の有無を問わず、あらゆる人の耳目を集めるみたいです。
2016年、珍宝閣は「波乱万丈」
春、激しく変化が起こる
さて、今年の我が珍宝閣(そっちじゃなくて植物のほう)は波乱万丈の1年でした。いま「波乱万丈」の意味を紐解けば、
様々な苦労や出来事がある変化の激しい人生や生き様などことを幅広く指す言葉。
引用元: 波乱万丈とは – 日本語表現辞典 Weblio辞書
とあります。そう、激しく変化が起こったのです…。
それは気温が急激にあがりはじめた頃のこと。珍宝閣の鉢がパンパンに膨れ上がり、そろそろ植え替えをしなくてはと思い立ちました。
![p5280106](http://botanicalog.net/wp-content/uploads/2016/11/P5280106.jpg)
いざ鉢から出してみると、予想通りに根が詰まり、窮屈そう…。
「もうSサイズのパンツじゃダメなのか…」なんてしみじみと呟きながら、思い切って根を切り、水はけの良い土に替えます。その後、たっぷりと水をあげると数日後…。
![p6120205](http://botanicalog.net/wp-content/uploads/2016/11/P6120205.jpg)
痛い!これは痛い!!
![p6120212](http://botanicalog.net/wp-content/uploads/2016/11/P6120212.jpg)
どうしたことか。愛しの珍宝閣にパックリと亀裂が入っていたのです…!
大人のオトコになるための通過儀礼
恐らく、いままで十分に水を吸収できなかった珍宝閣にとって、生育期の、しかも植え替え後の水やりはまさに恵みの雨。ここぞという場面でムクムクと勃kk…いや膨張したのでしょう。
しかもよく見れば、ここはもともと薄っすらと「溝」が入っていた部分。パックリ割れる現象は、珍宝閣の生存戦略か何かなのでしょうか?
いや、男性であれば大きくなったら中身が露出するのはわりと当然のこと。真の姿ではなく、仮の姿であれば。パックリ割れたことはセイチョウの証です。そう考えると、むしろ喜ばしいことではないのでしょうか。
そうです。これは大人のオトコになるための通過儀礼なのです。そう思い、心を落ち着かせるためにも僕は、書棚から1冊の本を取り出しました。
へその緒には特別な呪術的な力があると考えられているが、アフリカやポリネシアの原始的な社会では、包皮にも同じような力が与えられている。
へその緒は、誕生と同時に切断される。包皮は、割礼のときに切り取られる。切断は、ある状態から他の状態への変化、移行を示すものである。胎児から赤ん坊へ、そして子どもから大人へ。割礼は、大人の世界への生まれ変わりを象徴している。
引用元:ペニスの文化史
人間のそれと当てはめて考えるのならば、切断は他の状態への変化を示すもの…。ヒトカワ剥けた僕の珍宝閣は、別の何かへと「進化」をはじめているらしいのです。それによく言うじゃないですか。傷ってのはオトコの勲章だって…。
いまもセイチョウ中
それから半年が経った現在、見るも無残な傷は塞がり、一段と逞しく見えるようになったのです。
![dsc_0017-1](http://botanicalog.net/wp-content/uploads/2016/11/DSC_0017-1.jpg)
もはや年月の経過を物語る「ダメージ」のような風合いも持ち合わせ、かえってカッコいい。長さもホンノちょっぴり、長くなった(ような気がします)。
![こうやって向きを変えると意味を持つなぁ・・・。](http://botanicalog.net/wp-content/uploads/2016/11/DSC_0015.jpg)
さて。この記事で一体何を伝えようとしているのか、書いている僕も分からなくなってきました…(笑)。
とにもかくにも珍宝閣は思いのほか、セイチョウはゆっくり。気長に焦らず、そして大いにオトコを育てて参ります。
参考文献
男性にとってはとても身近なものを、歴史や文化を通して深く考えさせられる本。10代のときに一度読んだことがあるのですが、怖くてすぐに閉じた。きっと「知らないほうが生きやすいだろう」と本能か何かで判断したのかもしれません。
いまでは何も思うことなく、フツーに読めます。なんでだろう。