ハクモクレンのつぼみをみたついでに、県立戸川公園の「ビジターセンター」へ。そこでは、丹沢の1950年代ごろからの写真展が開催されていました。
はげ山だった秦野の山々
「トトロの森」とはだいぶかけ離れている…。
いちばん驚いたのは、1955年ごろ、秦野の山地を映した写真。当時の丹沢は「裸地化」していて丸坊主。だからか、秦野市側からの写真は高いビルも木もなく、見通しがいいのです。
いまでこそ丹沢の山々には木々が生い茂っていますが、戦後まもなくの頃には、はげ山だったという事実は大変衝撃的だった。僕の想像する昔の風景「トトロの森」とは、だいぶ景色が違うのです…[*01]。
はげ山になった要因
どうして裸地化していたのか。ネット上で見つけた論文には、
全国的にみると,森林が最も荒れていたのは,江戸時代の末期から明治時代中期であり,建築用材,燃料,肥料などとして森林が過度に利用されていた(太田 , 2005).当時,全国的にはげ山が多く存在し,水害や土砂災害が頻発していた. それに比べて,現在では一部に手入れ不足の人工林があるものの,全国的に数百年ぶりに豊かな緑で覆われている (太田 , 2005).
とあり、また、東京農工大学名誉教授の木平勇吉さんは、
ということで、まず戦前、といっても一括して1920年以前では、特に丹沢の里山は、圧倒的に薪炭の供給地として使われてきました(図表1)。そこは生活の場であり、日々の炭・薪、それから農業用の肥料の落ち葉の供給地ということで非常に生活に密接にかかわっていたのですが、非常に利用が激しくて森林の内容は乏しく、いわゆるはげ山状態あるいは貧しい森林であったと思います。かつての古い時代の丹沢は図表2のような雑木林で、これが里山の実際の姿です。クリやクヌギ、コナラなどが薪炭として、人間が育てたというもので、一般には非常に細く若いものであったと思われます。
と仰います。
僕が見た写真というのは、1955年くらいのもので、戦後以降もしばらくは、雑木林の木々は薪炭として使われていた…。その後、燃料が石油や灯油などに移っていき、雑木林の利用が減る。結果としていまは「全国的に数百年ぶりに豊かな緑で覆われている」ということでしょう。
トトロのような青々とした里山の風景とはむしろ、現在の方がそれに近いとも言えるのでは?と感じてしまいます[*02]。
これからの丹沢と資料の保存
とはいえ、シカの問題であったり、温暖化の問題であったりと、課題は山積しています…。ブナ林などの消失など、喫緊の課題であると思います。このあたり、以前C・Wニコルさんが、
「人間が変えた自然は人間がなおす必要がある!」
と言っていましたが、僕らもしっかりと過去について知り、現状について知り、そして未来の自然をどう「なおす」のかを共有・実践しないといけないと感じてしまいます。
共有することについては、写真で見ることとは、本で読むのとは違い、知ることの量が格段に違います。過去の自然の状況などは、画像や映像などで残しておくほうが、伝えたいことがしっかり伝わるように思います。
また、写真や映像で残したとしても、誰かが見なければそれはただの紙やデータに過ぎないわけで。ビジターセンターで行われていた写真展のように、さまざまな人へ情報を発信できてこそ、資料として生きていくのだと思います[*03]。
そして次の投稿は、気になる生き物の話しを…。