ニギリタケを巡る巨匠の回顧。「企画展 シダときのこ」へ行ってきました

ある公共施設へ訪問したとき、その施設の方から見せてもらった本。ものすごく分厚くて、大量の植物画…。施設の方は「分からない植物があったら、巨匠、牧野さんの図鑑だよ」とこげ茶の本を開いてくれました。牧野富太郎氏の存在は、名前は知っていたものの、その著作を目にするのは初めてだったうえに「未だに使われているんだ!」と感動しました。

いざ、牧野記念庭園へ。

そんな「牧野富太郎」氏と、菌類学者「川村清一」氏の展示会「企画展 シダときのこ」が行われるというので、練馬の「牧野記念庭園」へ。

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牧野氏と川村氏について

ここで、牧野氏と川村氏の経歴をざっとおさらい。

牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) – 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。

「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。

引用元:牧野富太郎 – Wikipedia

一生涯をかけ、植物を研究したという牧野氏。一方の川村氏は、

川村 清一 (かわむら せいいち、1881年5月11日 – 1946年3月11日)は日本の岡山県津山市出身の菌類分類学者である。実弟は生物学者の川村多実二と生理学者の福田邦三。孫は建築家の川村純一。

日本における菌類分類学研究の草分けで、東京帝国大学理学部 植物学科を卒業し、帝室林野局を経て千葉高等園芸学校(現・千葉大学)教授に就任。松戸市辺りに分布する菌類相の調査・研究を行った。代表著作に「原色日本菌類図鑑」がある。「牧野日本植物図鑑」中の菌類各種を執筆したことでも知られる。

引用元:川村清一 (菌類分類学者) – Wikipedia

と、牧野氏との交流もあり、今回の展示は川村氏の精緻な植物画(キノコ画)と、牧野氏との交流にスポットをあてたもの。

牧野氏と川村氏の交流

会場に設置されていた展示リーフレットには、

植物学者牧野富太郎(1862-1957)は、1940(昭和15)年『牧野日本植物図鑑』を出版しました。図鑑の執筆は、種子植物とシダ植物は富太郎が、その他は富太郎以外の各専門家が担当しています。

(中略)

川村は、40年余り写生し研究してきた成果をまとめて図鑑として出版する予定でしたが、印刷中に1945(昭和20)年の戦災で焼けてしまいました。富太郎は、その直後亡くなった川村の無念を思い「キノコの川村博士逝く」という文章を記しました(『植物一日一題』所収)。

引用元:「企画展 シダときのこ 牧野富太郎と川村清一」展リーフレット

と、その交流の内容が端的に記されています。そして展示会場内には、さらに面白いエピソードがありました。

「ニギリタケ」をめぐる牧野氏と川村氏の交流

それは、企画展示室の入ってすぐ左側に展示されていました。そこには、牧野氏が笑顔で白い(?)きのこを持ち、人差し指を立ている写真が。これは1931年9月に天覧山で撮影され、そのとき牧野氏は「にぎりたけ握り甲斐なき細さ哉」と詠んだそう。

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photo credit: hr.icio via photopin cc

ニギリタケは昔から「手で握ると小さくなり、手を放すと元の大きさに戻る」との言い伝えがありました。市岡知寛の「信陽菌譜」には「握之則痿編勃然怒起」ともあり、川村氏はそんなニギリタケの実物を是非手に入れたい!と思っていた折、牧野氏が飛騨高山地方で手に入れた標本を「コレゾ所謂にぎりたけ」と、川村氏に送ったのです(1925年秋)。

それをもとに、川村氏が調べたところ、結局ニギリタケとは「カラカサダケ」であると判明したとのこと。のちに、市岡知寛のいうような「勃然怒起」するほどでもないと、川村氏[*01]。これについて牧野氏は著書「植物一日一題」のなかで、

さすがの川村清一博士のような菌学専門家でも、このニギリタケは久しく分らなかったが、私が大正十四年(1925)八月に飛騨の国の高山町できいたその土地のニギリタケのことを話して同博士も初めて合点がいったのである。そこで博士はこのニギリタケのことを大正十五年(1926)六月発行の『植物研究雑誌』第三巻第六号に書いた。それでこれまであやふやしていたニギリタケが初めてハッキリした。そしてこの菌は蓋が張り拡がるとあたかも傘のような形をしているところから、一つにカラカサダケとも呼ばれるとのことだ。

引用元:「植物一日一題」牧野富太郎

と、回想しています。ニギリタケひとつで2人の巨匠が事の顛末を愉快に書く。それだけでも大変に面白かったです。

川村清一氏の精緻な写生図

さらに興味深いのは、牧野氏が「キノコの川村博士逝く」のなかで、

同君は自ら写生図を描くことが巧みであったので、他の図工を煩わすに及ばす、みな自分で彩筆を振った。書肆が競って中等学校の植物教科書を出版した華やかな時代には、同君に嘱して菌類の着色図を描いてもらいその書中を飾ったものだ。甲の教科書にも乙の教科書にもキノコの着色図版といえば、後にも先きにも川村君の腕を振う独壇場であった。

引用元:「植物一日一題」牧野富太郎

と書いたように、その写生図は細かな描写が再現され、写真のよう。今展示のメインはこの写生図で、どれをとっても美しいものばかり。

しかも、大泉学園駅すぐの「ゆめりあフェンテ」1階にある「カメラのタナカ」さんにて、この写生図ポストカードを購入できます。

【自慢】僕の買ったポストカード

僕はこれのBセット(税込1,000円)を購入。

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眺めれば眺めるほど、細かい描写がなされていて、奥深いものを感じます。

きのこブームの昨今

現在、キノコが流行っています。巷でも可愛らしくデフォルメされたキノコを目にすることも多くなりました。ただし、キノコブームはいまに始まったものではなく、実は昔から多くのディープなファンが結構います。川村氏からはじまり、いまの若い世代にも引き継がれていくキノコの魅力。老若男女まみれてキノコを愛する文化はそれだけで、門外漢にとって、何だか羨ましく思います…。

  1. この内容は「植物研究雑誌」3-6(1926年所収)のもの []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。