植物学の聖地!牧野記念庭園の探訪録

前回の記事に引き続き、今回も「牧野記念庭園」について。施設内の記録をしておきます。

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牧野記念庭園の探訪記録

場所は「大泉学園」から徒歩5分。住宅街の中にひっそりとあるような施設です。もともとは牧野氏が晩年まで住んでいた邸宅があった場所で、いまでもその書斎部分が残っているそう[*01]。

牧野記念庭園の概用

敷地内には、この庭園の概要を記した看板が立っています。

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文字に起こすと、

御案内

牧野富太郎先生は、大正十五年都塵を避けて、この地 大泉に居を構えられ、我が国の植物学会に陸続として高説を発表されました。
この間、当時なお武蔵野の抒情を有していた大泉野外、四季とりどりの花卉の移り変りをも楽しまれ又、園内には奇草珍木を植栽して、その生育に多大の愛着を示された。
昭和三十二年、先生はこの邸内で九十四才の天寿を全うせられたが、この学問の聖地をいつまでも守り、永く後生に伝え残すため、ここに旧邸を牧野記念庭園とし、文化遺跡として広く公開することになった。
なお、牧野先生蒐集の腊葉(さくよう)は別に東京都立大学牧野標本館に整理保管され、学究の用に供せられている。

昭和三十三年十二月
練馬区

とあります。看板にもあるように、園内には牧野富太郎氏にゆかりのある植物が植えられ、なかでも「センダイヤサクラ」は必見。

牧野氏ゆかりのセンダイヤザクラ

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牧野氏が、高知市の仙台屋という商家の前で発見したことから、命名されたサクラ。

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春になれば、先端がほのかに赤くなった花をみられるそうです。

親しげな名前の「アブラチャン」

ほかにも「アブラチャン」という鳥山明が書きそうな名前の樹木も…。

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別に親しみやすいように、この名前を付けたわけではなく、「アブラ」はその名の通り「油」、「チャン」は「瀝青(れきせい)」で「油瀝青」と、まさに油が多いことから名づけられたとか[*02]。そんなアブラチャンも、現在は黄葉しており、美しく輝いています。

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展示室

展示室は常設展示室と、企画展示室があります。

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企画展示室は、前回の記事で書いたように、11月3日までは「企画展 シダときのこ」展が開催中。常設展示室には、牧野氏の愛用品などが展示されています。[*03]

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もちろん、牧野氏の生涯を記したボードや、著作物、

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「植物研究雑誌」の原稿なども展示。

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展示品の中で興味深かった「名刺」

なかでもとくに目を惹かれたのがコレ。

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名刺です。当時の名刺は、電話番号も住所も、もちろんメールアドレスも入っていない、とてもシンプルなもの。最近、戦中・戦後の名刺を目にすることがあり、現代人の僕からすると、このシンプルさがかえって格好良く思えてくるのです[*04]。僕もこういう名刺を持ちたい…。

いずれ…。

今回は、書斎部分をみていないので、次回行くときにはぜひ見学したい!さらには、センダイヤザクラの咲く頃も行きたい…。行きたいところが多いいこと…。

  1. 今回の僕は、この書斎部分の展示室を完全に素通りした。常設展示室の隣にあって、てっきりトイレかと思ったその施設にどうやら書斎部分があったらしい。行きたかった…! []
  2. 参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3 []
  3. 博物館には珍しく、どうやら撮影はOKのようでした。 []
  4. 特に活版印刷で黒ともグレーともいえない墨色で打ちいれられた文字の美しさ。そして擦れ。活字で押され凹んだ文字の周辺…。Illustratorでデータをつくってハイ終わり!ではない、工程の多さからくる温かみが感じ取れるのです… []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。