前回の続きです。
「植樹の神様」宮脇昭さんの講演会へ行ってきました!
ニコルさんの講演が終了し、宮脇さんが登壇。そして、マイクを握り話し出す。その時僕が感じたのは「85歳とは思えない張りのある声だな」ということ。さらに宮脇さんの話し方は特徴的で、ワンフレーズがポンポンと出て、どんどん進んでいく感じ。頭の中がぐるぐる回転している証拠です。60歳も歳の離れた兄ちゃんはついていけません…。
が、必死でメモをしたのを少しだけ記録しておきます。
「生きているもの」「死んでいるもの」
宮脇さんの講演の中で、心に残るキーワードがいくつかありました。それは「生きている緑」や「死んでいる材料」。その土地の環境に適した森[*01]は「生きている森」と表現され、さまざまな生態系が守られていくのだそうです。一方、身の回りにあるものを見渡せば、加工された製品ばかり。製品だけでなく、建物までもがそのような材料で作られ、そのことを宮脇さんは「死んだ街」と言われていました。
結果、日本に残る「生きている森」は0.06%しかなく、山には「偽物の木(建築材料用などとして人為的に植えられた木)」が植えられ、死んだ材料でできた街には生き物がどれだけ生き残れるのか…。極めて壮大で、極めて虚構っぽくて、極めてリアルな問題提起。ポリエステルのトレーナーに汗がにじみます…(笑)。
そこで宮脇さんからのシンプルな提案。それは「木を植えよう」。
木は一本も植えなかったらゼロのまま
ポイントは、単純に植えるのではなく、土地にあった木を植える。また、さまざまな種類の木を小さいうちに植えこむ。さらに「木は根が勝負」なので、根の張り易いように工夫する。これで「生命を守る」のです。いや、たったこれだけで津波から守る防潮堤になったり、火災を防ぐ役割をしてくれたり。うまく自然と共生できれば、行政の負担も減るのではないかという提言でした。
すでに実際には、いくつかの海岸では樹木による防潮堤が作られている、あるいは木を植える活動が行われている模様です(参考:震災がれきを活用、東北に「森の防波堤」を 横国大の宮脇氏に聞く:日本経済新聞)。
さらに宮脇さんは訴えます。「木を植えること。誰かがやるからいいのではなく、自分がやる。木は一本も植えなきゃ0のまま。最初はダマされたと思って木を植えよう!点から線へ。線から面へ!みんなで植えよう!!」
そして僕は思った。
僕より何倍も歳の離れた方々が活躍されている[*02]のに、スマホでなめこを栽培している僕ら若者たち…。リアルな世界では確実に環境が汚染され、森への理解が失われていく。何をしているんだろうって感じます。
そうか。やっぱりまずは木を植えなくちゃ。
僕は、環境学の「か」の字も分かりませんが、まずは木を植えてみようかと思います。けれど、無暗に植えるのはよろしくない。積極的に植樹祭などには参加しようと心に決めました。
講演終了後の出来事
講演が終わり、仕事先から「電話も出ないでどこにいたんだよ」的な留守録が入っていたので、正面ロビーでリダイヤル。ぞろぞろと出ていくお客さんを目で追っていると、目の前をどこかで見たおじいさんが通り過ぎていくのです。ついさっき会ったよなぁ~。誰だっけぇ~?と頭を巡らせると、その正体は先ほどまで舞台の上にいた宮脇さん!
まさか植樹の神様が正面扉から出ていくとは思ってもいない[*03]ので、一瞬言葉が出なかった。すぐに追いかけて握手をお願いしたかったのですが、こちとらあいにく電話中…。他のお客さんに声をかけられ、握手をしながら去っていく宮脇さん。その背中を見送る僕。そして電話越しで複雑な要件をしゃべる社長。まずはこころに「ゆとり」を植えなきゃなぁ。