表題の通り、2017年4月より転職しました。
今までは「自営業」という形でお仕事をいただきながら、なんとか食いつないできたのですが、今年で齢30。そろそろ「杢太郎はコレ」といえるようなものが欲しいと考え始めていました。文章にすると長くなるので省略しますが、かなり悩みました。
右往左往していると、群馬県の鉢物生産者さんを偶然見つけ、現在そちらでお世話になっています。
就職活動をするなかで、それまでお仕事をいただいていた東京都のとある2社の企業から「それならうちで正社員として働けば?」と声をかけていただきました。どれも自営業時代とは違い給料も高額で、福利厚生も厚く、ステップアップをするには最高の環境です。それでも僕は群馬県の生産者さんを選んだのです。
その理由は3つあります。
- 植物、ひいては鉢物を生産する現場での実際を経験したいから
- 植物生産がグローバル化するなかで、生き残るカギは1次産業にあると考えているから
- なんだかんだ、植物が好きだから
いままでデスクワークがメインだったので、転職後「なんで畑違いの仕事に就いたの?」とよく聞かれます。某国の総理大臣ではありませんが、とりあえずこのエントリーを読んでほしい(笑)。同時に僕のアタマを整理するためにもここに詳細を書き起こしてみます。
植物、ひいては鉢物を生産する現場での実際を経験したいから
いつも痛感するのは「基本の大切さ」
いわゆる「趣味の園芸」からはじめて、家庭菜園に手を出したり、市民農園をやってみたりと、過去、さまざまに植物と関わろうと試行錯誤してきました[*01]。そのなかでいつも感じるのは「基本の大切さ」ということ。植物が成長するロジックや過程など、根本的な部分を知っていると、あらゆるトラブルを乗り越えることができる…。しかも、面白く感じる!そんなことを、これまでの経験から知りました。
基本を知っていれば、それまでの知識が呼び水となって、新しい知識の吸収も容易となる。ゆえに基本を知ることで、より「植物との良い関係」を築けるのです。
ところが僕には、その「基本」がすっぽりと抜け落ちています。その基本はどこから得られるのかといえば、植物本を読み漁っただけでは身につきません。植物イベントやセミナーをハシゴしても虚無感しか残りません。実際に土にまみれて、日々植物を観察する中で少しずつ身についていくもの。僕が欲しくて堪らないのは、泥だらけの畑のなかに生える小さな小さな芽、それこそが「基本」なのです。
逆にわざわざ植物関係の仕事に就かなくても、趣味としてその分野を追及することも可能だし、その道を深めた諸先輩方も多くいらっしゃいます。もちろん僕もその方向を探りましたが、これまで得てきた経験と、今後の流れを考えると、職業として植物と関わる方が良いのではないかと考えたのです。
植物生産がグローバル化するなかで、生き残るカギは1次産業にあると考えているから
品種改良と生産競争のなかで
なぜなら、これまで発展途上国とされてきた国が、植物の生産、特に嗜好性の強い園芸分野に力を入れてきたらどうなるでしょうか。海を越えて輸入されてきた安価な切り花や鉢物が店頭に並んだとき、果たして既存の国内の生産者は勝てるのでしょうか?
消費者目線で考えたとき、僕はきっと、タイ産の熱帯植物を手に取るだろうし、立派で巨大な南米産のエアプランツを購入します。安くて品質の良いものを消費者が選ぶのは至極当然のこと。現に安価で高品質な海外産の植物はどんどん輸入されてきているし、そのバリエーションは多様化しています。
人工知能の導入でますます生産の現場が機械化する
さらに園芸技術が進歩し、人工知能などが発達すれば、巨大資本が広大な農地で植物を管理・栽培し、いままでは必要とされてきた植物生産に関する細やかな知識も不要となります。それだけではありません。家庭でも、庭という空間が消失し、居住空間と外部空間の境が薄れていく。そのグレーゾーンに、家電化した栽培施設(栽培機器)が入り込んで誰もが当たり前のように、野菜や米などを手軽につくれるようになるかもしれません。
果ては人工的に精製された栄養を補給し、健康的に見せかけたような植物自体の「機械化」も起こり得るかもしれません…。
植物を栽培する環境がより身近になることは喜ばしいことではあるものの、これまで生業として植物を栽培してきた人たちの食い扶持が減るのは容易に予想がつきます。
伝えれば奥行きが広がる、伝われば面白味が深まる
そうした中で第1次産業、ひいては花卉園芸業界はどうするべきか。それは消費者に「その商品とは何であるかを伝達する」ことが大切で、そのうえで自ずと商品に必要な付加価値が見いだせるのだと考えています。
皆さんも、街の生花店やホームセンターに足を運んでみてください。その商品はどこの産地でつくられ、どのような環境で育まれてきたのか。それを明確化するだけでひとつのストーリーが生まれるのに、消費者の手に渡るころには、カッコイイ和名だけを掲げた札が吊るされているだけ。栽培方法もラベルの裏に数行しか書かれていません。終いには産地と学名がしっかりと明記されている(追うことのできる)海外産の原種や気難しい植物がプロやセミプロに尊ばれ、いまや生花店やホームセンターに並ぶ園芸品種はなぜか嘲笑の的です。
以前もこのブログで書きましたが、園芸は娯楽です。娯楽であるからこそ消費者は、日常の中で「園芸による非日常を体験」したいのです。如何にその体験方法を消費者に提案できるのか…。それは本来、その植物といちばん長く接している生産者にこそできるのであって、(大変失礼ですが)バイヤーや花屋の店員さんにそれほどの志があるとは思えません。やっぱり、その植物は生産者さんの話がいちばん面白いし、きめ細やかだし、消費者の心のど真ん中に届くのです。
消費者に伝えれば伝えるほど、生産する植物が世に知られ、多くの同業者が同じように伝えようとします。よって競争が生まれ、国内での花卉業界が盛り上がる。また、消費者側も知ることによって、その植物をより楽しめるはずです。
一緒に生きることができる植物
次に趣味や生業などの視点を超えて、植物による娯楽は追求できる余地を残す。仕上がったジグソーパズルよりも、ばらけたジグソーパズルをどのように用意できるのかが勝負どころだと思います。1回栽培して「ハイ終わり!」はあまりにも面白くありません。
さらに重要なこと。せっかく買ったのに1年で枯れてしまう植物よりも、永く一緒に「生きることができる」植物を育てたい。一緒に過ごすからこそ見えてくる「顔」だったり、その植物本来の「個性」がみえてくる…。僕は常日頃からそう感じています。なのに、その前提となる適切な栽培情報が提示されていなかったり、もともと1年以内に枯れることを前提にした植物も多く流通しています。
消費者がそれで良いなら構わないのですが、枯れてしまえばそれっきり。それに、枯れたことに罪悪感を感じたら、二度と同じ植物を手にすることがない人も少なくはありません。やがて「〇〇は難しい」という意見が世間に流布してしまえば、かえって販路や購入機会を狭めているのと同じではありませんか。
ならば、植物はこんな楽しみ方があるのか、こんなにも簡単に育てられるのかといった情報を伝達するとともに、本当に楽しむことができる植物を流通させることが必要です。この2セットを昇華させるためにはやはり生産の現場から「基本」を学ぶ必要があると考えたのです。
なんだかんだ、植物が好きだから
…と、ここまで堅苦しい文章が続きましたが、やっぱりなんだかんだ言って植物が好きなのです。物言わぬ細胞のカタマリが全身で自己主張する毎日。それにせっせと応えていった末に魅せる植物の開花だったり、結実だったり…。そのときの感動が堪らないのです…。
世の植物好きの皆さんも、そうではありませんか?
理想は高いけれど…
高すぎる理想を延々と並べましたが、まずは日々の業務を着実にこなすこと。何年掛かるか分かりません。途中で挫けるかもしれません。それでもゆっくりと理想を現実化できればと思います…!
- このブログを読めばその経緯を何となく感じ取ることもできるのではないでしょうか? [↩]