カネノナルキと、お婆ちゃんと、ボク。お婆ちゃんから学んだ、植物との暮らし方

いつの間にか、このブログの投稿総数が300記事を超えていました

この機会に僕の園芸師匠でもある曾祖母(以下・お婆ちゃん)のことを記します[*01]。

ここいらで、お婆ちゃんの話をします

僕からみると曾祖母

僕のプロフィールにも、お婆ちゃんのことを書いていますし、過去、他にもどこかで書いたかもしれません。
横浜の、ビルが立ち並ぶ街のすぐ近く、坂の多い場所にお婆ちゃんの家はありました。

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お世辞にも大きい家とは言えない、1DKの小さな借家。
そこに70歳になる息子(僕からすると祖父)と2人暮らし。

お婆ちゃんは病気をしていたわけでもなく、至って健康。
ただひとつ、生活に不自由をきたしているのは大きく曲がった腰。
「お婆ちゃんって、なんでそんなに猫背なの?」と訊けば「若いころに苦労したからだよ」と良く話してくれました。

上手く歩くことはできませでしたが、近くの商店街までなら乳母車を押し、ひとりで歩いて買い物へ行くのです。
きっと、90歳を迎えても元気だったのは、毎日のように歩いていたからだと思います。

鉢を使わない、エコな園芸

そんなお婆ちゃんの趣味といえば、園芸。
小さな家の周りには、溢れんばかりの植物が取り囲んでいます。
それも鉢に植えられた植物は少なく、大抵は鮮魚屋で貰えるような発泡スチロールの箱に穴を空け、それをプランターとして活用していました。

まさにこんな感じ。
まさにこんな感じ。

これって、江戸の園芸に通じるエコな精神だと思いますが、当時の僕としてはどうしても貧乏くさく感じていました。
だって、ちょっと足が当たれば、白くて柔らかい「プランター」が欠けるのですから…!

植物になんて1ミリの興味もない小学生にとっては邪魔な存在でしかありません。

でもどこか、お婆ちゃんの家で遊ぶときはボールが鉢に当たらないように気を付けるとか、ミニ四駆が植物の密集地帯にコースアウトしないようになど気は遣うのです(笑)。

なぜなら、お婆ちゃんが植物の世話をする姿を、小さいころの僕は度々目撃していたから。
お昼時、お婆ちゃんの横でテレビを観ているとノソノソっと立ち上がり、「そろそろ水をあげなくちゃね~」なんてぼそぼそ言いながら、ジョウロ片手に家の外へ。
右往左往しながらカーテン越しに植物に水を与えるお婆ちゃんの「影」が今でも頭の隅に残っています。
クソガキながらも、お婆ちゃんにとって家の周りにある植物は、かけがえのない存在であるのだと感じていたのかもしれません。

永い時間、同じ植物を毎日毎日、面倒を見続ける
そうだ。
お婆ちゃんの家にあるイチョウの、1メートルに満たない姿がそれを物語っていました。
何年も育てているはずなのですが、小さな鉢の中で栽培しているのでなかなか大きくならないのです。

お婆ちゃんから貰った「カネノナルキ」

そんなある日のこと。
どういうハナシの流れだか、お婆ちゃんのコレクションのひとつであるカネノナルキを1鉢、僕が引取ることになったのです[*02]。

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早速、自宅に持ち帰りしばらく育ててみる。
…が、カネノナルキ、全然面白くない(笑)。

なぜか…。
まず第一に生長速度のコト。
日に日に大きくなり、ツタが伸びていく様が見て取れるインゲンマメとは違い、カネノナルキの生長は非常にゆっくり

さらにいくら育てようとも、基本的にカネノナルキは食べられる場所がありません。
大きく育てたからといって、誰かに喜んでもらえることはほぼないのです。

そして、決定的なことが起こります。
その冬、戸外に出していたカネノナルキが溶けるように枯れたのです。
当時は越冬に必要な温度があるとは知らなかったし、両親とも園芸とは無縁だったので訊いても分からない。
結局、なぜ枯れたのかが分からなかったのです。

横浜お婆ちゃんの家には「土」がない!?

数か月後のお正月。
お婆ちゃんの家へ行ったとき、カネノナルキが枯れたことを正直に白状しました。
すると、「寒さに弱いから枯れたのかもねぇ」とのこと。
でも、そう言うお婆ちゃんの家のカネノナルキは、いつものように戸外の定位置にあるのです(笑)。
きっと、何十年も住んでいる住居です。
植物に適した置き場所を、お婆ちゃんは熟知していたのかもしれません。
もしかすると植物もその場所に適し、温度変化に耐え得る「耐寒性」を持ったのかもしれません。

そしてその日。
またしても、お婆ちゃんの愛株である大きなカネノナルキを貰ってしまうのです…。
それも以前の貰ったものよりも幾分か大きいものを…。

「これをやるから、今度は枯らすんじゃないよ。それと引き換えにお前の家の土を頂戴」

僕は耳を疑いました。
土なんてそこらじゅうにあるじゃないかと。
少なくとも、自宅の庭には掘れば無尽蔵といえるほどの土がある。
そう思い、おばあちゃんの家の周囲を見渡すとハッと気が付いたのです。
地面がコンクリートで固められて土がない、と。

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都会の端っこに所在するお婆ちゃんの家。
あらゆる地面はコンクリートで固められ、土が露出している場所がほとんど見当たらない。

「お婆ちゃんはね、土を買ってくるんだよ。でもこの年になってくると、これが重たくて買ってこれなくてね。畑だった土地に建つお前の家の庭には絶対に良い土があるからね」

そのとき地域によっては、土が貴重品であると知ったのです。
そして僕は大変に恵まれた環境にいたのだと気が付きました。

カネノナルキを枯らさないようにしよう

それからは図書館に行き、カネノナルキの栽培法を調べたり、近所の園芸大好きオヤジ(通称・ゴンベエおじさん)に育て方を教えてもらったり…。
結果、室内に取り込むタイミングをミスって2/3くらい枯れてしまいましたが、なんとか全滅は避けられました。

photo credit: Watering the Flowers via photopin (license)
photo credit: Watering the Flowers via photopin (license)

以降、いまに至るまでそのカネノナルキは健在です。
それをきっかけに、僕はあらゆる植物を育て始めました。
小遣いを持っては園芸店に足を運び、その度に枯らして、また育て、枯らして…を繰り返す。
その過程でなんとなく園芸の難しさや、奥深さ、そして楽しさを知っていったのです[*03]。

ただ、僕には大きな心残りがあります。
それはお婆ちゃんに我が家の土を渡せなかったこと。
渡すタイミングは幾度もありましたが、その度に忘れてしまうのです。

するとお婆ちゃんは「今度来た時に持ってきてくれればいいよ」と言って、またキダチアロエや、あの大きくならないイチョウなど、植物にハマった僕に立派な植物を渡してくれるのです…。
きっとお婆ちゃんは「終う準備」をしていたのかもしれません。
いま思えば…。

園芸は長寿のための健康法なのかもしれない

祖父が突然亡くなって、お婆ちゃんも…

中学2年生になると、一緒に暮らしていた息子である祖父が亡くなりました。
身寄りのなくなったお婆ちゃんは、急遽老人ホームに入ることに
本人は非常に嫌がっていましたが、親類一同、何かあっては怖いので…と、半ば強制的に入居させました。

それと同時に、家の周りにあった発泡スチロールの植物はことごとく処分。
家も退去することに。
すべてのことが突然だったので、その後に植物がどうなったのかは良く覚えていません[*04]。

間もなくして、日常の所作をすることが無くなったお婆ちゃんは、僕の名前を忘れ、体力も衰弱し、すぐに亡くなりました。
享年は93歳。
大往生といえば大往生ではありましたが、もしかしたら100歳までは生きていけたような気もするのです…。

お婆ちゃんにとっての植物を育てる意義

お婆ちゃんにとって園芸とは、頭を活用するために必要な作業であったと僕は思います
日々の買い物や散歩・料理など、園芸だけではないとは思いますが、植物を育てるという作業が、寿命を延ばす大きな要因であったはず。

photo credit: Oh dear... via photopin (license)
photo credit: Oh dear… via photopin (license)

水を与える。
草をむしる。
ピンチする。
そして植物の様子を日々、観察する…。
90歳を超える寿命を全うしたお婆ちゃんは、植物を育てることがもたらす絶大な効果を、身を持って実感していたのではないでしょうか

僕の中に今も生きるお婆ちゃんと、フワフワした植物たち

この記事を書くに当たり、お婆ちゃんの家の外観写真を探しましたが、見つかりませんでした。
どんな植物が置いてあったのか今では定かではありませんが、僕の心の中では、名も知らぬ植物たちが元気にお婆ちゃんと共に生きています

お婆ちゃんに貰ったイチョウの木は、庭で地植えにした瞬間、恐るべき速度で伸びていきました。
本来、庭木としてイチョウは適さないということを身をもって知りましたが、どこかお婆ちゃんの生命力と共通するものを感じました。
小さく育て続けるということもまた、高度な技術であるのだとも…。

たまに、小さくとも元気に植物を育てる女性をみるとお婆ちゃんがオーバーラップするのです。
枯れた葉を除きながら笑顔でお喋りする姿をみると、ついつい「何だか懐かしい」と感じてしまうのは、もうどうしようもありません(笑)。

僕はまだまだ、お婆ちゃんの園芸レベルには辿り着けてはいません。
ですが、少しでも近づきたいと思うのです…。
頭を使い、手を使い、そして大切に植物と過ごす日々…。
そんな生活に憧れてしまうのはお婆ちゃんのせいですね、きっと(笑)。

  1. 読者の方々には、あまり関係のないことかもしれませんが []
  2. 多分、そのころにちょうど、僕が家の庭でインゲン豆を育て、それが大豊作になったこと。そして近所の方に配ったら評判が良かったことを、親がお婆ちゃんに話したのかもしれません []
  3. 近所に園芸店が一緒になったようなスーパーがあったのも大きかった []
  4. 近所の方々にご挨拶がてら譲ったようにも思います []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。