『イタカ』という詩を知っていますか?ある多肉植物農家さんの言葉と植物を愛でること。

イタカ」という詩を知っていますか?
作者はコンスタンディノス・カヴァフィスというギリシャの詩人
はじめてこの詩を読んだとき、僕は深く感銘を受けました。
これほどまでに「植物を愛でること」の意を表わせる思想はない…と。

多肉農家さんの言葉と「イタカ」という詩

とある多肉農家さんとの出会い

多肉植物をはじめたころ、神奈川県のとある多肉農家さんのもとへ突然お邪魔しました[*01]。

当時の僕は社会人1年目を終え、精神的に揉まれ、心身ともに荒廃していました。
片道2時間の通勤電車。
上長からの繰り返される叱責。
そして自分のできなさ加減とその不甲斐なさ。
結局、契約期間の1年を終え、再就職をする気力も尽き、外に出ること、そして、人に会うのも怖くて億劫でした。

そんな中、唯一僕の心を支えてくれたのは植物を育てるということ
もっと細かく述べるなら、植物を育てるためにはどうすれば良いのかを探し、調べること
調べなければ身の回りの植物はどんどん枯れていくし、まったなし。
図書館に行くことからはじまり、園芸資材の買い物をする。
それから少しずつ外に出ることにも慣れ、人と話す不安感もちょっと薄れていきました。

そんなときのこと。

久しぶりに遠出をしてみよう、そう思って多肉農家さんのもとまで伺ったのです。
そして、元教師の多肉農家さんは会うなり、瞬時に僕の状況を見抜いたのです。

「あなた、対人関係が悩みなんでしょ?いろんな人がいるものね」

それからこう続けます。

「多肉植物、はじめてやるの?趣味が長く続く人はそうはいないよ。多肉をやっていたかと思うと、いつの間にかトカゲを育ててる人もいるんだから(笑)。最後には、鉢だけが転がってる…なんてこともあるの。やっぱり、焦っちゃダメ。ちょっとずつ集めることがいちばん良いわ

以降、ずっと胸の奥深くに大切にしまってあるのがこの場面。
ある意味、僕の「植物を愛でるための指針」となっています。
昨今、転売目的で植物の売買を繰り返す人には、この言葉があるからこそ引っかかる[*02]。

いつもイタカを心に思いたまえ。感銘を受けた詩「イタカ」

それから数年後。
詩集を読んでいると「イタカ」という詩に出会いました。
この詩は人生を航海に喩えているものであると思うのですが、「イタカ」というキーワードを「植物を愛でること」に置き換えると、まるであの多肉農家さんの言葉がピタリと当てはまるのです。

一般的には中井久夫氏の訳詩が知られているのですが、より分かり易く、現代語に近い言葉に表現された詩を掲載しているブログがありました。

読めばわかると思います。
「イタカ」は地名なのですが、実は何に置き換えてもいい
普遍的で、広大で、長遠な時間を切り取った詩のために、あらゆる意に捉えることができる。
かといって難解ではないし、汲み取れないほどの大きな世界を表現しているわけじゃない。

だから「イタカ→人生」でもいいし、「イタカ→恋愛」でもいい。
読む人にとって大切なものを当てはめれば、絶妙なフィット感を生み出すのです。

これまでも「イタカ」、これからも「イタカ」。

僕がここで言いたいのは、これからも「イタカ」的な信条で植物を愛でてきたい、ということ
誰かに強制したい、というわけではありませんが、なぜか僕にはこの信条が性に合うし、どことなく真理なように思えるのです。

そして植物を通して、いろんなことを知ることができたし、たくさんの人にも出会えた。
20代前半の疲れ切っていた時期に植物の面白さを知らなかったら、今頃僕はもっと荒んだ人間になっていたかもしれません。
そして、これからもこの詩のようにゆっくりと、でも着実に植物を愛でるという「航海」を続けていきたいのです。

ぜひとも皆さんも一度、読んでみて、大切なものと置き換えてみてはいかがでしょうか…。

  1. 本当は一報を入れるのがマナーです []
  2. 今までの行動やこのブログの記事の全部が全部、この指針に沿っているのかといえばそうではないかもしれません。けれど、この信条に基づいて判断しているのは間違いありません []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。