ひとつの植物を愛でるということ

先日、とある植物の集会へ行ってきました。内容的には大変興味深く、勉強になることも沢山あり、良いイベントでした。

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好きな植物をとことん好きになるって、悪くない

イベントで感じたこと

その集会とは、ある植物に特化した団体のイベント[*01]。僕自身はその団体へ入ってはいませんでしたが、会員である友人の誘いで参加しました。

もちろん、ひとつの種類に特化した団体なので、集まる人はかなり専門的。言い方を変えれば、マニアックな集団です。ところが僕は、あまりその植物のことを知らないため、なかなか話についていけませんでした…。

このとき、ふっと思ったことがあります。それは「好きな植物をとことん好きになるって、悪くはない」ということ。

視界が狭くなると、見えない範囲を切り捨てる

僕自身、多肉植物のベンケイソウ科の一種である「アドロミスクス属」の植物が大好きです。

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けれど、ひとつの植物だけを栽培していると、ほかの植物への感心が及ばなくなってしまう[*02]。多少、関連する事柄に出会っても、直接は関係ないだろうと決めつけて、自らその出会いを捨ててしまうのです。

結果として、自己流の間違った栽培方法で失敗してしまったり、基礎的な事柄を学ぶ機会を逃したり。気がつけば、いつも同じ間違いを犯して、大量の植物を枯らしてしまったことも。

そんなとき、とある会社の社長から「お前は物事を狭く見すぎだ。もう少し広く捉えるべきでは」と忠告を受けました。これは仕事や私生活についての指摘でしたが、僕の植物に対する見方もまさに忠言通りだと感じたのです。

なるべく「広く捉える」ために…。けれど…。

そしてはじめたのが、このブログ。なるべく広く、多角的に、植物に関わる物事を捉えてみようと挑戦しました。

ところが、「植物の情報」とひとくちに括ってしまうと、あまりに広い。身近に生えている雑草から、コケ、樹木、盆栽、花卉など…。このブログをはじめた当初は、どこから手を付けていけばいいのか分かりませんでした。

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結果として、数年前から流行っている多肉植物と、インドアグリーンに関連する観葉植物などに(なるべく)焦点を絞り込みました。それでも、これらのカテゴリーでさえ大海原のような広さと奥の深さがあります。

結論からすると、守備範囲を狭めてもなかなか自分の思うような学習はできていません。まだまだ括りが広いうえ、個人で植物と触れ合いながら学ぶというのは、さすがに限界があるのかもしれません。。

ひとつの植物を愛でる「効用」

そんなときに、この団体イベントへの参加。とある方は、中学生のころから水草や多肉植物などを栽培し、結果としてこのニッチな植物に行きついたと仰っていました。なるほど、狭めて狭めた結果がそこだったのか…。

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さらにいえば、ある1種の植物を観察すると、「植物」として深いところで共通している事柄まで知ることができるかもしれない。

要するに、観察している植物の特徴を深堀してみると、なんてことはない、どんな植物にも共通している事象であった…みたいなことがあるかもしれない。観察・栽培していたら、いつの間にか、植物の普遍的で深いところまでに行きついてしまうような。

良く知っているからこそ、楽しい

そんなこんなで、この団体に来ていた方々が、僕には輝いて見えたし、趣味、言い換えれば「マニア」の世界はかくあるべき哉と。

その植物のことを良く知っているからこそ、深いところまで話すネタがあるはずだし[*03]、専門用語が飛び交う環境に身を置いていると、触発されてどんどんレベルも上がるはずです[*04]。

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とはいっても、とりあえず僕はまだ、浅く広いところをウロウロしようと思う。なぜなら、毎日通る道端の雑草ですら、気付かずに踏みつけて歩いている始末。まだまだ勉強不足。植物へ関心を持っていたとしても、なかなか足元まで届かないのだから。

  1. 近年、その植物の人気に火が付き、団体に加入しようとする人が後を絶たないのだとか []
  2. 少なくとも僕の場合は []
  3. そもそも、内輪だけで盛り上がれる環境って、結構楽しい []
  4. そこに訳のわかっていない第三者がいるときって、何故かトークが白熱するのですよね(笑)。内輪だけにしか分からない言葉を使ってしゃべると、共同体のなかにいて、その仲間だけが特別な存在になれたような気になってしまう…。 []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。