結構前の話になりますが…。1月23日、パナソニック汐留ミュージアムで行われた、この展示会へ行ってきました。
『イングリッシュ・ガーデン』展へ行ってきました!

名前からは何の展示会なのか、パッとは思い浮かびませんが、端的にいうならば「ボタニカルアート」の展示会です。
僕の中の「ボタニカルアート」
僕個人のことですが、ボタニカルアートをちゃんと見始めたのは、このブログをはじめてからのこと。大船植物園で開催されている展示会を見たことがきっかけ。

このとき、ボタニカルアートとは何ぞやという講義にたまたま参加。講師の方が「ボタニカルアートは細部にわたって精緻に書くべきものだ。根っこから果実の模様まで、あらゆる部位を丹念に観察しなさい」と仰っていたのが印象的でした。
それを頭に入れながら実際に画を見ていると、まさにその通り。細い線を巧みに塗り重ね、リアルさを追求した絵は、そこに植物が生えているかのように感じたのです。
以降、「ボタニカルアート」=「微細な描写も描くリアルな絵」なのだと僕の中で思っていました。
大場秀章先生の講演に参加
ハナシは元に戻って「イングリッシュ・ガーデン」展へ。

実は展示会へ行ったその日、東京大学名誉教授である大場秀章先生の講演もあるとのことで、参加したのです。
東京大学という肩書にビビって、難しい講演だろうと思いきや、至って分かりやすかった…。むしろ、ワクワクするものでした。
今回はその中でも、僕なりに興味深いと感じたことを、記録していきます。
ボタニカルアートとは
上記で述べたとおり、僕の考えは「微細な描写も描くリアルな絵」という短絡的なもの。しかし、講演のはじめ、大場先生が仰ったのはこんなものでした。
- 正確な描写が意識されているだけでなく、植物の特徴が正確にとらえられている。それだけでなく、芸術的創造性も有している
- 作品の美しさを堪能しながら、絶妙な植物の造形に気づかされる
- 植物の魅力を伝えるだけでなく、未知の植物とそれが生える空間に鑑賞者を誘い、エキゾチズムを充たしてくれる
とのこと。ちょっと難しく聞こえるかもしれないけれど、畏れ多くも僕なりに解説します。
かなり端折った「ボタニカルアート」発展の流れ
植物画が発展する流れの中には、薬用植物を描いて記録することなどからはじまりました。もちろん当時は写真もないわけで、誰かが口で伝えるか、何かに記録して伝えるしか方法はありません。
口で伝えると言っても、同じような形でも有毒な種類とそうでない種類があり、口述は難しい。ならば描こうとなるのは当然のこと。以降、大きく端折りますが平面的に描かれていた植物の形状はやがて立体化し、さらに写実的に描かれるようになります。
さらに17世紀ごろ、外国から植物が入り「標本」にして保管するように。しかし、標本だと経年変化でそれがどんな植物だったか分からなくなってしまう…。その問題を解決するために植物を描き、生きていたときの状態を「保管」していくのです。
そして、多くのひとたちによって、現在の「ボタニカルアート」の技法は確立して行ったのであります。植物全体を描いていたのが、いつしか花をメインとして描く、そしてそこに「芸術性を付加すればたくさんの人に観てもらえる」とあらゆる工夫が施されていったのです。
その一連の流れを、展示されている絵画で解説したのが今回の講演でした。
凄まじいキュー王立植物園の方針
とくにイギリス「キュー王立植物園」所蔵のボタニカルアートが展示されているわけですが、ここの理念が凄まじい。

キュー王立植物園は18世紀半ばに開園し、22万点のボタニカルアートが所蔵されているそうです。しかもボタニカルアートは、きちんと管理されながら収められていて、専用の植物画収蔵庫もあるのだとか[*01]。
―20世紀は多様性が視覚的に理解されていく。地球上の25万の植物をすべて視覚化する―
という活動理念のもと、科学的に植物を伝えるだけでなく、そこに芸術性を付加すれば多くの人に興味を持ってもらえる…。というのが最近の方針のようで、「カーティス・ボタニカル・マガジン」を年4回発行し、そこには主に、今までに掲載されたことがない植物を載せているのだそうです。
大場先生の言葉
で、そのボタニカルマガジンの絵を描くクリスタベル・キングさんは至って普通の女性。いうなればどこにでもいそうなおばさん。
「植物を描くというのは、ある程度、植物学的な知識は必要ですが、ありのままに描けばいいので誰にでもできます。(カーティス・ボタニカル・マガジンでは)まだまだ絵になっていない植物がいくつもあるので、皆さん挑戦してみてはいかがでしょうか?
植物を自分で描くと、その特徴がよく分かります。目がすべてをみている訳ではないので、見えていない部分の多さに驚きますよ。ですから、植物を学ぶうえで描くというのは最良の方法です」
最後に大場先生は、キングさんのように誰もが植物画を描くことができると述べて、この日の講演は終わりました。
僕らが「画を読みにいく」という鑑賞法

この講演の後、実際に展示されている絵画などを鑑賞しました。
大場先生の「ボタニカルアートとは」がうっすら分かる…
すると、何もわからず見るよりも「これがそれか!」と創作背景と絵が繋がって非常に面白く感じられたのです。
もちろん、先に挙げた大場先生の「ボタニカルアートとは何か」も薄らとではありますが、しっくりくるものが得られます。写真がない時代、あらゆる人が誰かのためにその植物の魅力を伝えようと必死に描きました。
その時代に生きている人のため、はたまた後世のため。そんなふうにして描かれた絵画には、読み取ろうとすれば多くのメッセージが書き込まれていて、ただ単に「わ~い綺麗、リアル~♪」なんて目で眺めているだけでは勿体ない。
「画を読みに行く」という鑑賞方法
むしろ、こちらから「画を読みに行く」ような行為をすれば、描いたその人が伝えたかった植物の魅力を汲み取れるかもしれません。いや、汲み取ることこそがボタニカルアートを鑑賞する醍醐味なのかもしれません。

科学的+芸術的であるからこそ、いろんな鑑賞方法があるかとおもいますが、講演と鑑賞を通じて、僕はそんなふうに感じたのでした。…あくまでも僕は、ですが。
- ちなみに日本ではこういった取り組みがしっかりとなされてはおらず、失われたボタニカルアートも少なくないのだそうです [↩]