ドキュメンタリー映画『人生フルーツ』の感想です。問われる「人間らしい生き方」とは?

ずっと観たかった『人生フルーツ』という映画を先日、鑑賞してまいりました。いろいろと感じたので、思うがままに書き留めておきます。

好評な映画『人生フルーツ』観ました!

枯葉が落ちれば、土が肥える…

この映画、樹木希林さんのナレーターからはじまります。

風が吹けば、枯葉が落ちる。
枯葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実が実る。
こつこつ、ゆっくり。
人生、フルーツ。

劇中3~4回は繰り返されるこの言葉は、場面展開によって伝わるニュアンスが変わってくる。言葉の重み、意味の表情が変わってくるのです…。

日本の高度成長期、日本住宅公団で数々の建物を手掛けてきた建築家、津端修一さん90歳。いまはアントニン・レーモンドに倣った住まいに87歳の妻・英子さんと二人暮らし。ささやかなでありながら、つつましく和やかで、朗らかな日常から物語ははじまります。

注意
ここから先は、映画のネタバレ要素含みます。閲覧にご注意ください。

経済優先で建設された街の中に雑木林をつくる

津端夫妻が住むのは愛知県春日井市にある「高蔵寺ニュータウン」。この場所こそ、修一さんらが計画し、開発してきた場所なのです。

1960年代。日本住宅公団のエースだった津端さん。白いキャンバスに自由に計画をして良いとのことで、風が流れ、雑木林の残る緑豊かな場所にしようとマスタープランを作成し提出します。ところが完成したのは経済優先の無機質な団地群…。高度成長期の日本は質より量を求め、多くの入居者を呼び込めるプランが好まれた結果でした。

修一さんはそれ以降、それまでの仕事とは距離を置きます。それから、開発途中のニュータウンに土地を買い、自ら住まう家を建て(*01)その庭に雑木林を作りはじめるのです。

自分で作った都市に、自分で住む。そんなことすらしない建築家にはインチキが多い

修一さんがそう呟いたとき、人間が暮らす「場所」をつくる仕事について、修一さんは複雑な心境を抱えているのだと感じます。そう、建築家という職業の一線から退いた今でも。だからこそ、津端さん夫妻は自らを道標として、非現代的な生活を営んできたのだと思うのです。

否、修一さんは数多くの住宅をつくるうえで、何か僕らには想像も及ばないような「悪夢」をみてきたのかもしれない。雑木林の中でゆっくり暮らすことに答えを見出してきたその道のりには、便利な暮らしと引き換えにしなければならない何かがあったはずです。

人間らしく生きるって何だろう?

故に英子さんは、どんなことがあってもコンビニでは買い物をしないし、いつも決まったお店で、信頼のおける人からしか食べ物を買わない。それに加え、孫のはなこさんには手料理のごはんを送り「なるべく外食はしないでほしい」と願います。

では、その理由は何なのでしょうか?

津端夫妻は庭の畑から、四季折々の果実や根菜類など、賄えるものは可能な限り自分たちで育て、食べる。映画を観ていると、人間の根源的な生活のしかたを、ふと目の当たりにしたような感を抱くのです。

人とつながることと、住まうこと。この映画は建築論的な難しい理論が説かれることはありません。けれど、もっと深くて、もっと身近でより根源的な「人間的な生き方」とは、「人間らしく生きるための場所」とは何かを問うている気がするのです。映画が進むにつれ、僕はこのように感じていったのです…。

住まうことと資本主義

日本の建設業界は、頑丈でより強大な住宅を求めるようになりました。木を切り開き、畑を潰し、土をコンクリートで固めまくる。住宅に使われる素材は火に耐え、熱を通さず、湿気に強い。

そのため、街には無機質なものが溢れ、住まう人の心からは、どこか「ぬくもり」が消え始める。人工的で、冷たく、無駄を許さないから。

そして度を増す、むき出しの資本主義。人々はいつでも心の奥底に敵愾心を持ち、少しでも多くの利益を生み出そうとする。住まいはぎゅうぎゅうに密接しあい、人との関りをどう隔てるのかにばかり工夫を重ねる。

そしていつしか、気の安らげる場所がなくなり人間の住める場所などなくなってしまう。修一さんはきっと、そんな未来の世を予見していたのではないでしょうか。

僕の考えすぎかもしれませんが、だからこそ発展を遂げていく街の中でひとり(ふたり)で抗って、人間らしく努めて暮らしてきたのではないかと思うのです。その方法が、雑木林という「自然」を住まいに寄り添わせること

落ち葉を畑にまき堆肥とし、イモや果実を収穫する。そんな日常を繰り返す毎日こそが、人間にとっては当たり前で、それが一番、人間らしく暮らせる方法であるのかもしれません。津端夫妻はどこかでその暮らし方を感知し、実践し、続けてきたのです…。

「こつこつやることで見えてくるものがある」

風が吹いてもすぐには葉が落ちないし、葉が落ちてもすぐには土は肥えない。土が肥えてもすぐには果実が実らないこと。

そんな当たり前なことがすっかり忘れさられていて、当たり前なことすら当たり前とも思わない。「スマート」とか「効率が良い」という言葉の裏には恐ろしいほどの人間らしさが消されていることにすら、思いを馳せない。そして僕らはコンビニに「通って」、どんなに色がオカしくても、安くて美味しければ、それで良い。でも津端さん夫妻はそこに、厳然とNOを突き付けているのです。

こつこつやることで見えてくるものがある

劇中で修一さんが口にし、英子さんがその言葉の意味をふいにくみ取るシーンがあります。こつこつやることがダサいとか、如何に無駄を省くかを考えるのではなくて、大切な人とゆっくり時間を重ねるのも、人間らしく生きるうえでは大事なことなのかもしれません。

見えなくなってしまった人間らしさに僕らはもっと目を向ける必要があるのです。人間らしい生活は、一朝一夕には営むことができません。だからこそ、人間らしい暮らしとは何かを考え、少しずつ自分の足元に寄せていくこと。僕らはまず、そんなところからはじめるべきだと思うのです。

こつこつ、ゆっくり。

津端さん夫妻に関する書籍

まだ読んでいませんが、思わず2冊とも注文してしまいました…(;´・ω・)。どうやら両書とも好評のようで、配送に時間が掛かっているみたい…。待ち遠しい。早く読みたい!

これらの本でなぜ、津端夫妻が「こつこつ、ゆっくり」生活をしているのか。その理由に少しでも触れられたら…。

この記事の脚注

  1. もともとは津端さんのお母さんが住む場所だったそうです []
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