植物を「切る」ということ -西畠清順さん編-

これまでにいくつか「植物を切る」ということについて、エントリーをしてきました。植物を育てること、植物を楽しむことの過程でどうしても立ちはだかるこの問題。心を整理するために今回も、気が付いたことを記録して参ります。

清順さんの映像を観て

仕事の原点は「植物を殺す仕事」だった。

2016年11月30日に開催されたトークイベント「寄付の教室」でのトークの映像が、西畠清順さんのウェブサイトにアップされていました。

この映像の後半、ハッとすることを清順さんは語っています。

清順さんの家業はさまざまな流派の人に生け花の材料を届ける仕事をしていました。そもそもそれは「植物を殺す仕事」でもあるのです。

生け花は「活け花」とも書きます。「なんで植物を殺すのに、活かす花と書くのだろうか」と清順さんは考えていました。そして辿り着いたのは

人間は植物を殺すことでしか生きていけない

という歴然たる事実だったそうです。だからこそ、植物を生かすことを大切にしたいのだと…。

ちょっとしたことで葉を落とす多肉植物

そもそも僕らは、日々なにがしかの植物を食べ、生きています。食べるだけではありません。衣服として身にまとったり、植物を使って筆記用具をつくり、コミュニケーションを図ったり…。思えば衣食住すべてに植物がかかわっているのです。

清順さんも動画の中で、植物を殺したうえで成り立っているライフ(生活)なのだと語っています。僕らは植物がなければ生きていけないのです。

でも、よく考えたら植物は、虫や動物に食べられても文句を言いません。トゲや毒をもって自らを守る植物もありますが、むしろ積極的に自分の身体の一部を切り落とそうとする植物もいます。顕著なのが僕の好きなアドロミスクス。アドロミスクスはちょっと手が触れたり、振動を与えただけですぐに葉が落ちます。そしてその葉から、子株が出てきて増えていくのです。

葉を落とした本体(親)のほうはどうかといえば、至って元気。さすがにたくさんの葉が落ちてしまえば、急激に体力を失いますが、どう考えてもアドロミスクスは葉をちぎられる前提で生きているとしか思えないのです…。

…と、そんなことを明文化した書物があります。その書籍は植物の知られざる知性を紹介する「植物は<知性>をもっている―20の感覚で思考する生命システム」という本。

植物の身体は切られても良いようにできている

一部を引用してみます。

こうした独特の生理のおかげで、植物の体の大部分が切り離されたとしても、死んでしまうことはない。体の九〇~九五%まで食べられてしまっても大丈夫な植物もある。残った小さな部分が小片となって再生し、やがて完全に元の状態に戻るのだ。

(中略)

いっぽう、動物の場合、防衛があるとしても、ごくわずかなケースだけだ。たしかにトカゲの尻尾は切れてもまた生えてくる。でも、手足や頭部が切断されてしまえば、二度と元には戻らない。植物は切り取られても、たいていは生きつづけられる。いや、それだけではない。切りとられた方がいい場合もあるのだ!剪定がもたらす回復効果について考えてみよう。余分な枝を刈りとることで、木全体の成長がうながされる。こうした特性は、動物とはまったく異なる体の構造によるものだ。植物の個体は、無数の同じモジュールの組み合わせでできている。一つひとつのモジュールそれぞれが、基本的には独立したまま、べつのモジュールと連結している。レゴのブロックに似ているといえるかもしれない。

引用元:植物は<知性>をもっている―20の感覚で思考する生命システム

読めば当たり前なこと。けれど改めて考えてみれば、妙に腹落ちするのです。植物は切られても生きていける身体になっているのだと…。

だとすると、植物は食物連鎖のなかに当然組み込まれるべき役割で、その役目をしっかり果たそうとしているのだとも受け取れます。ちょっと人間の身勝手さがにじみ出ていますが…。

人と植物は「切っても切れない関係」

日本語には「切っても切れない関係」という言葉があります。

切ろうとしても切ることができない。関係が極めて深いことにいう。

引用元: 切っても切れないの意味 – goo国語辞書

言葉遊びのようですが、植物と人間の関係こそが、まさしく「切っても切れない関係」なのだとも思います

適度に切り取られれば植物の生育を促し、切り取った植物を人は食材にしたり、加工して道具にしたり…。切ろうとしても切ることができない、という意味だけでなく、切っても本当の繋がりは切れないもの。それが人と植物との関係性なのです。

切った植物はなるべく「活かす」。清順さんのたどり着いた答えが、この関係性を理解すれば深まってくる。ただ単に植物を「伐採」するのは人にも植物にとってもプラスになることは少なくて、だからこそ計画的に、必要最低限に切る必要がある。そして清順さんが僕らの目の前で繰り広げる、植物をつかった表現こそが切った植物を「活かす」ひとつの方法なのだと。

考えてみれば、植物を切るのが悲しいとか、ダメだとか考えること自体からして人間の発想で、そもそも植物自身がどう思っているかなんて想像も及びません。むしろ「切られることをヨシ」としているかもしれないし…。

人間が植物と向き合うためには、その植物をどう「活かす」か。伐ったあとの植物、伐られた植物をどうフォローしていくのか…。そんなことを気にせず平気な顔で植物と向き合っても別に良いのかもしれないけれど、疑問に思ったのなら考えるしかないし、自分なりに落としどころを探るしかない。この講演映像を観て、そんなことを思ったのです。

未だ植物を切ることに対して、なかなか答えを見出せてはいませんが、大きなヒントを得たように思います。

スポンサーリンク