植物を「切る」ということ -みどりのゆび編-

お婆ちゃんのイチョウを家人が切ったその日、僕はとある小説を再読しました。

庭のイチョウを切ったら突然読みたくなった「みどりのゆび」

この物語、お婆ちゃんに似ている…。

確か高校生の頃だと思います。初めて読んだ時の感想を一言で表すのなら「気持ちが悪い」。作中、祖母がアロエを代弁するシーンが思春期の僕には強烈で、何とも言えないオカルトチックな印象を受けたのでしょう。

でも、もっと深いところで、僕と曾祖母(お婆ちゃん)との記憶に凄く似ていると感じていました。その小説の名はよしもとばななさんの「みどりのゆび」。

カネノナルキの記事にも書きましたが、僕の園芸の伝道師は間違いなく、今は亡きお婆ちゃん。横浜の家に遊びに行けば、陽が沈む前にひとまず家を出る。ふと窓の外に目を遣ると、直角に腰を曲げた状態でジョウロを持ち、花や草木に水を与えるその姿…。そうそう。その中にアロエもありました。あれはキダチアロエです。

アトピー性皮膚炎の酷かった母曰く、ことあるごとにむしり取られたアロエの葉をペタペタと刷り込まれ、その苦いエキスを飲んだこともあるのだそう。未だに改善しない皮膚炎ゆえに「あれは効かない」とよく言います(笑)。

もちろん、お婆ちゃんは僕にアロエの木も譲ってくれ、しばらく栽培していたこともありました。でもやっぱり、冬には枯れ、無残にも鉢だけになって庭に転がるのです…。そしてまた、お婆ちゃんの育てていた植物を貰っては枯らすという…(;’∀’)。

「みどりのゆび」を持つ人

中学生の頃の僕は、植物を育てるという行為は好きだったのですが、育てる中で起こるトラブルの回避方法を探るというところまでは「好き」ではなかったのです。大きくなるのは嬉しいのですが、枯れてしまったら「あ~あ、枯れちゃった」で終わる。それから、お婆ちゃんが亡くなり、植物を枯らすまいと少しずつ園芸の知識を深めていったのです。

高校生の頃は、ちょうど観葉植物がマイブーム。自分の中でアロエは「お婆ちゃんが育てていた古臭い植物」という勝手なイメージを抱いていて、ほとんど興味は薄れていました。そんなときに、この「みどりのゆび」を読んだのです。

その教科書か参考書か、端のほうに「みどりのゆびとは」との解説がなされていました。(アメリカだったか)海外では植物を枯らさないように育てる人のことを「緑の指を持つ人」という、と。もしかしたらお婆ちゃんもこの緑の指を持っていたのではないだろうか…。そう思ったのを昨日のことのように感じます。

そして作中の「祖母」と僕のお婆ちゃんの、どうも共通する点がいくつもあって、ずっと「みどりのゆび」のストーリーが心の奥で通底していたのです。

植物を育てる人にしか分からない体験

今日、切られたイチョウの木をみたら、無性にみどりのゆびが読みたくなって、夢中で古本店に駆け込みました。幸い文庫本が手に入り、禁断症状に駆られたように読み耽りました。

久しぶりに小説を読んで、泣いた。

よしもとばななさんの物語には、よく植物が登場するのですが、恐らく本人もかなり植物を育ててきている方だと思います。いわゆる植物好き。読めば高校生の頃には感じなかった感覚も、30代を前にして思うところがたくさん

よしもとさんは自らのフィルターを通して植物を観ている。だから、植物を育てるときに得ることのできる体験が緻密に描かれているのです。そのため、共感の連続

植物が好きな祖母の大切な鉢植えたちには、私が毎日水やりをしにいっていた。見ればなんということない植物たちだった。盆栽でもなく、貴重なものでもない。千両や、ジャスミン、そてつ、なんだかわからない豆類の木、おじぎそう、パキラ、カランコエ……それでも毎日水をやっているとその植物たちが祖母を狂おしく求めているのが感じられる気がした。

引用元:体は全部知っている (文春文庫)

お婆ちゃんに貰うカネノナルキは、我が家では屋外で越冬できません。しかし、お婆ちゃんの家の軒下には春夏秋冬を問わず、いつも同じ場所にカネノナルキはあるのです。きっと、僕が貰ったカネノナルキは、どこまでもお婆ちゃんのカネノナルキで、ひたすらにお婆ちゃんのいる横浜の家に戻ることを願っていたのかもしれません

「北風が当たるからだ」とか「霜が降りるからだ」など、枯れてしまった理由を科学的に証明できるのかもしれません。けれどこの本を読んでいたら、そんな難しいことを考えるのが馬鹿らしくなる。

それ以上に、腰を曲げながら楽し気にコミュニケーションを図るお婆ちゃんと植物の姿。それから僕が貰ったあらゆる植物が、お婆ちゃんの「みどりのゆび」を求めながら冬の寒さに凍え死んでいったことなどが浮かんできて、涙が溢れ出てきたのです。

申し訳ないというか、僕が情けないというか、当時「枯らしちゃったよ」とお婆ちゃんに軽く伝えたときのお婆ちゃんの心情など、いろいろと想像して読み進めるのが大変でした。

植物に育ててる人のクセが乗り移る

ヨウムなどの鳥は長くて80年生きると言います。ゆえに亡くなった飼い主の口癖を真似つづけ、遺された家族を複雑な気持ちにさせるのだそう。植物も同じように、栽培していた人の「癖」というか「遺伝子」のようなものが残っているような気がします。長い期間、ずっと一緒に暮らしていればいるほど…。

photo credit: Caring for Orchids at the U.S. Botanic Garden via photopin (license)

我が家の庭に植えたイチョウは、街路樹のそれとは違って細いです。だからこそ、弱く見える。けれど、90歳以上もの長い年月を生きたお婆ちゃんの一生を彷彿とさせる生命力があります。

今後、伐採するしないに関わらず、その命は引き継いでいきたい。人間より長く生きる植物は人間の思い出を渡り歩いていく宿命にある。そんな気がしてなりません。

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。