ドキュメンタリー映画『カレーライスを一から作る』を観る。当たり前が当たり前じゃないことを知りました。

出勤前「ポレポレ東中野」へ行き、当日券を購入する。すると受付のお姉さんから「こちら土日のイベントで配っていたものなのですが、予備がまだありますので…」と野菜を貰いました

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僕はこのほど、カレーで使える野菜を片手に出勤するという初体験をしました…(笑)。ということで、観てきました。ドキュメンタリー映画「カレーライスを一から作る

ひとこと。良い映画でした。

「カレーライスを一から作る」を観て思ったこと

映画の概要

簡単に映画の内容を記せば、探検家の関野吉晴さんと、関野さんが教壇に立つ武蔵野美術大学の学生が、いちから何かをつくるという授業を追ったドキュメント。テーマは「いちからカレーライスをつくる」に決まり、学生が約9か月間、さまざまな材料をはじめから作っていく…という物語です。

ネタバレの恐れがあるので、映画の内容を詳しくは書きませんが、ここからは僕の感想を書いていきます。

注意
ここから先は、映画のネタバレ要素含みます。閲覧にご注意ください。

劇中に漂う「死」への緊張感

カレーライスに必要な食材と言えば、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、米などが挙げられます。そのなかでもメインなのがやっぱり「肉」。序盤から学生がナニヤラ鳥を育ててるシーンが一瞬出てくるので、映画の山場は鳥を屠る場面だろうという予想はしていました

で、やっぱりその通り

観る立場からすれば、劇中にいつまでも動物を殺す「死」への不安や緊張感が漂います。けれどもその中で、植物や動物を育て、奮闘する学生をみるとホッとするしワクワクするのです。

いや、違う。このワクワク感を自分のなかで整理してみれば、学生に自分を重ねて、なんとか疑似体験しようとている…。それって、よく考えたら羨望の念だと感じるのです。

ムサビの学生が羨ましい…

そもそも現代ではあらゆる食材や道具が「商品」として加工され、販売、流通されています。僕らはその中のいくつを「いちからつくられたもの」だと挙げられるのでしょうか。

僕は先ほどの夕飯に、納豆ごはんを食べました。納豆は大豆でできていることは知っていても、産地は外国産。米だって、北海道産ということ以外、どこの誰がどのように栽培したのかさえ分かりません。

もし、自らが育てた食材を「シンプル(素)」なものとするならば、消費者が積極的にアプローチしなければ手に入らないことに気が付きます。シンプルな食材は一見すると簡単につくれそうにみえるけれど、相当な努力と時間を掛けないと口にできないのです。

結局、大手スーパーの特売品を「色が良い」とか「量が多い」とか「安い」といった名目で買ってきて、電磁調理器で数分で作り上げてしまう。思えば、どのような工程を得てきたのかを知らずに口にしてる食材があまりにも多すぎる

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なかなか育たない野菜に苛立ち、化学肥料を与えようと揺れる学生。水と土だけの水田から作られた米を前に「水だけでできたなんて…」と話す関野さん。日常で目にする「当たり前」が決して当たり前ではないこと。そんな当たり前でない当たり前があることを、「そうか、そうか」「確かにそうだよね」と、ドキュメンタリーを通して知る…。それくらい僕らには当たり前が隠されているのだと感じます。

だからこそ、「イチから何かをつくる」体験ができるムサビの大学生を率直に羨ましいと感じたし、それに伴う経験は非常に大きいと感じます(*01)

現実的なことを考えると、今の僕にはそういった経験を得るには大きな決意も必要だろうし、誰かに迷惑を掛けなければ時間も空けられません。すると、労働の時間が減って収入も減るかもしれない…。だからこそ、大学生というギリギリ社会人の手前でこんな経験ができた彼らに対して単純に「いいなぁ~、いいなぁ~」とスクリーンに呟いてしまうのです…(笑)。

中身がないから不安が募る

現代では、いちから何かが作られている当たり前を知らないからこそ、「食」に対する不安は募るのだと思います。お叱りを承知で書きますが、「食」に対する不安を煽る人と、ジャンクフードやカップラーメンを良く食べる人との差はあまりないのだろうと感じます

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食材がどのように作られているのかを知らなければ、それはそれで不安。でも、みんなが美味しく食べられて、大企業が「安心・安全」を謳っているのなら大丈夫…みたいな人もいます(*02)

けれどそれって、どちらも中身がないですよね。

先述した通り、現代に生きる僕らには何でもかんでもイチからつくることは現実的ではありません。それでも、ほんの一部の生産過程を自らの手で施す、あるいは産地や生産者のもとへ赴いてコミュニケーションを取ってみるのも大切なのだろうと感じます。一から作っている、その一はどんなものかを辿ろうとするだけで、世の中を違う視点で見られるかもしれません。

「生き抜く力を知ってほしかった」

映画の最期。すべての食材を調理し、カレーライスを食すその直前。関野さんは、

「生き抜く力、サバイバルを知ってほしかった」

と、学生を前に語ります。この「生き抜く力」って深い。僕ら人間が食べるために生き抜く力もそうだし、食材となった植物や動物が生き抜く力(生き抜いてきた力)も含まれているはず。そんな「生き抜く力」の総和で僕らは日々を生き抜いているのです。

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どこかの生き抜く力がなくなれば、そのサイクルは破綻するわけで…。前編に出てくるダチョウ然り、アイルランドのジャガイモの話も然り。いちからつくることは、どこかの「生き抜く力」の発生源を辿る授業だったのかもしれません

経験をしないと得ることができない知識が画面の向こうにあるような気がして。結論から言えば、僕もそんな経験をしたい、知らないことが多すぎる…とつくづく思わされる映画でした。

この記事の脚注

  1. どちらかと言えば田舎に住んでいる僕でさえ、なにかをいちからつくる経験をあまりしていないので、都会にすむ子供たちは、市民農園のような場でなければ、いちからの農の経験は皆無なのではないでしょうか… []
  2. ちなみに僕は思いっきり後者。職場の休憩で食べるのはカップラーメンだし、コンビニ弁当やお惣菜は便利なのでついつい買ってしまいます。 []
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