なんで母の日にカーネーションを贈るの?大きなきっかけは、とある母娘の物語にある。

「父の日」よりも「母の日」のほうが重い気がするのですが、皆さんはどう感じますでしょうか?

母の日の由来はどこから?

5月の第2土曜日が「母の日」はアメリカから

さて、ずっと気になっていたのですが、「母の日」にはなぜ、カーネーションを贈るのでしょうか?今回はそれを含め、調べてみました。

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「母の日」と同じような日は、世界中にあるそうです。とくに多くの国がアメリカ発祥の5月の第2日曜日が「母の日」となっています。

発祥はジャービス母娘の運動から

なぜこの日が母の日になったのかというと、アメリカ人のミセス・ジャービスという女性が1858年、病気で苦しんでいる人を救う募金運動や公衆衛生の活動を行っていました。

南北戦争の際には敵味方を問わず、献身的に看病し、平和を願う活動も行ったことから、ミセス・ジャービスが運営している団体「Mothers Day Work Club」に注目が集まります。

そんなミセス・ジャービスが1905年に亡くなると、娘アンナ・ジャービスが追悼式の際に白いカーネーションを配りました

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以降、アンナは追悼式の日の第2日曜日を「母に感謝する日」とする活動を続け、1914年、ついにアメリカ国民の祝日として「母の日」が制定されたのです。

補足

この追悼式にちなみ白いカーネーションは、死者へ手向けるための花として贈答用には忌避されます。
また、その他の白い花も同じように墓前へ供えるための花として捉えられることがあります。
ご注意ください。

日本での母の日

公式には1947年に制定

日本では第二次世界大戦の後、1947年に公式に母の日と制定されます。さらに、この日にカーネーションを贈るという習慣はアンナ・ジャービスの活動を参考にしたとも言われています。

当時は、母が存命する人は赤いカーネーションを、母を亡くした人は白いカーネーションを贈るという形だったそう。はじめは造花だったのが、今では本物のオレンジやピンク、はたまた混色といったカラフルなカーネーションが出回ります。

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いまでは、年間で消費されるカーネーションの20パーセントが母の日という1日に集中するのだとか。母の日のカーネーションがすっかり定着された証拠です。

日本へのカーネーション渡来と歴史

そもそもカーネーションが日本に入ってきたのは江戸時代初期といわれ、別名に「オランダセキチク」と呼ばれるのはこのため。さらに導入されたのはいまから約100年前、とある日本人が中野で温室栽培を始め、1924年に大塚卓一氏が大田区にて広く栽培をはじめたのがきっかけ。

また、昭和61年、サカタのタネが「フィーリングピンク」という鉢花カーネーションを販売。その後、各種メーカーが続々と新品種を発売し、鉢でのカーネーションが普及していったそうです。

ここまでの歴史を考えると、カーネーションの普及と開発は、「母の日」が大きく絡んでいるのかもしれません。現在では、各地でコンテストなども開かれ、カーネーションの新品種開発に拍車がかかります。

さらにはバイオテクノロジーの技術を応用して、花の色を変えたりなど、さらなる競争の激化にまで発展しています。2017年現在、青に近い色の花を咲かせるカーネーションが人気を呼んでいるのだそうです。今後、僕らの手にするカーネーションはどのようなものになるのでしょうか…。

母の日の贈り物がまだなら、とりあえず植物店へ!

それと同時に、種から栽培したカーネーションを贈るのもおススメです。日頃の感謝を伝えるのなら、たくさんの愛が詰まった花を贈りたいものです。

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さてさて。まだ母の日のプレゼントが用意できていない方は、とりあえず生花店や園芸店へ足を運んでみては?

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。