園芸ってマイナス思考じゃやってられない。『柳生真吾の八ヶ岳だより』を読んで…。

「僕、多肉植物にハマっているんですよ」。そういうと、一定の年齢に達した人からはこう返されることがあります。「多肉植物といえば、あの俳優の息子の…。柳生真吾って人がいたわね」と。

柳生真吾さんの八ヶ岳での生き方

DSC_5831

多肉植物を知り、柳生さんを知る。

数年前、はじめて「柳生真吾」さんの名前を聞いたのも、僕が多肉植物の話しをしたときでした。「趣味の園芸」に出ているとか、そういうことはまったく知らず、多肉界隈にも有名人がいるのだなくらいにしか思っていませんでした。

それから少し経ったころ。多肉植物をネットで検索していると、こんな記事と出会います。

この人が柳生真吾さんかぁ~と知りました。しかもいま考えれば、現在一大ブームとなっているチランジアや多肉植物に2007年時点ですでに注目していたとは…。

さらに月日が流れ、「日本フラワー&ガーデンショウ」では遠くの方からご本人の姿を拝見。まさか病気をされているとは思ってもいませんでした。

DSC_0763

そして今年の春、柳生真吾さんの訃報…。正直言葉も出ませんでした。八ヶ岳へ行きたかったし、どんな人なのか知りたくて柳生さんの書かれている書籍や関連書を読んでいたころだったので。

だから今年中に、柳生さんのことをこのブログに記しておきたいと…。今日は「柳生真吾の八ヶ岳だより」について書きます。

柳生真吾の八ケ岳だより―だから園芸はやめられない

『柳生真吾の八ヶ岳だより』

この本は初版が2004年。八ヶ岳での暮らし方をエッセイにしたもので、読めば「自然の中での暮らし」の充実感を疑似体験できる内容になっています。

photo credit: LedgeView Park on a Quiet Breezy Day via photopin (license)
photo credit: LedgeView Park on a Quiet Breezy Day via photopin (license)

園芸本かと思えば、どちらかというと園芸の話題も混じった回顧録。これまで八ヶ岳の雑木林はどのように育まれてきたのか、自宅やその周辺の施工の話し、それから普段の林のようすなど…。

羨ましいなぁ~と思う反面、大変な生活もにじみ出ています。冬の雪かきは、その最たるもののひとつで気持ちを切り替えていかないとやっていけない。

一大決心をして移り住んだ八ヶ岳南麓は僕にとって「楽園」です。人からもよく「八ヶ岳で自然に囲まれて暮らすことができて、いいですね」と言われますが、楽園の住人にも大変なことはたくさんある!冬は寒いし、毎日の雪かきは重労働だし、交通の便はよくないし、夜は真っ暗。落ち葉の量だって半端じゃない。だからといって南の島で暮らしても、激しい台風にじっと耐えなければならないこともあるかもしれません。都会にも田舎にも、南にも北にも、大変なことは同じようにあると思うのです。それを「つらい」と思わずに、いかにイベントとして楽しむことができるか。

引用元:柳生真吾の八ケ岳だより―だから園芸はやめられない

マイナス思考じゃ園芸なんてやってられない

自分のいまいる境遇を嘆いてばかりの人って結構多い。身近にだっています。でも、何事にもプラスに考えていこうという人も中にはいます。本を読むあたり、柳生さんは後者の人。こういう人の方が仲間も多いし、社会的に成功する人が多いように思います。

なぜなら、その人と一緒にいて嫌な気分にはなりにくいから。そんな人には自然と人が集まって、人が集まることでいろんなチャンスに恵まれます。一方であれはできない、これはやらないと周りの意見を突っぱね続けていると、最終的には誰も近寄らなくなってしまう…[*01]。

この本に登場する柳生さんのお祖父さんも優しい人で、柳生さんが幼いころ、どんな生き物を連れて帰ってきても怒らなかったそう。そして園芸好き。園芸を続けていくというのは植物の要求に絶えず応えていくこと。できない、やらないとあきらめてしまえば、園芸なんて続きもしません。

柳生さんのいた雑木林

それから、読んで思わずしんみりしてしまった場所。それは八ヶ岳の雑木林を若く維持するために、20年弱で切っていく必要があり、いざ父の代から受け継いだ木を実際に切ろうという場面。

DSC_9981

どんな方向に木が倒れるか、真剣にやらないとケガでは済まされない。手伝った人たちも集中力を常に維持し、その夜はみんな酒もよく回ったのだとか。そしてこう続きます。

次に木を切るのは、たぶん20年後。「次はお前だぞ」って、父が僕の息子に言いました。そのとき息子は26歳で、僕は55歳になっている。二人とも熟しているときですね。夜の飲み会の席に息子がいました。父が仕組んで「次はボクがやりまーす!」って明るく言ったらみんな拍手喝采。涙ぐむ仲間もいて……。6歳の息子がそう言ったのは、感動的でした。それをお膳立てしたのは僕の父。こういうことができるのは「ジイジ」であればこそ、ですね。


引用元:柳生真吾の八ケ岳だより―だから園芸はやめられない

息子さんはもう、柳生さんと一緒には木を切ることができません。それでも雑木林は残っていて誰かが手を入れてやらないと、どんどん鬱蒼としてきてしまう。そう、誰かがやらなくてはいけない。

でも、雑木林のあちこちに柳生さんとの思い出が残っているだろうし、林を管理することでそこに染み込んだ思いと出会えるはず。それゆえに「受け継ぐ意味」があるようにも思えてきます。

園芸を続けていくこと=いちいち感動できること

自然と付き合っていくのはやっぱり大変。自然のほんの一部を拝借して楽しむ園芸でさえ、僕は息切れしてしまう始末。それでも花が咲いた、子株か生えた、芽が出てきた!とひとつひとつに感動をもらえるのが堪らないところ。

それよりも何倍も大きな雑木林と共存するには、さらに何倍もの苦労が必要のはず。でも、得られる感動も比例して大きいのだとも思います。そんなことを読みながら感じた一冊でした。

  1. そんな人は何をやっても何にもできませんが… []

この記事を書いた人

mokutaro

植物好きが高じ鉢物業界に飛び込んだアラサー男子。群馬県に移住し、毎日、食べ(られ)ない嗜好性の強い植物とまみれています。 園芸を考えるブログ「ボタニカログ」を運営中。